吉本隆明詩集より「その秋のために」

 

2DSC_1032.JPG 久々に吉本隆明の詩集を読んでみました。吉本先生東京工業大学卒業のバリバリの理工系エリート・インテリだったんですね。1953年30歳の時に自費出版した「転位のための十編」は52年の血のメーデー事件や労働組合闘争の敗北後の作品で、私にとってはなんとなく共感が持てるものです。このなかで初めて「近親憎悪」という言葉が出てくるのですが、仲間としての労働者の裏切りや保身の中で孤独・敗北・挫折等が労働者への「近親憎悪」として現されていて、彼の思想の原動力になったのかもしれないなんて、思っています。でも、その辺が共感できる部分なのかもしれません。「我笛吹けども汝踊らず」

 

 

 

 

その秋のために(“転位のための十編“より)

 

まるい空がきれいに澄んでいる

鳥が散弾のようにぼくのほうへ落下し

いく粒かの不安にかわる

ぼくは拒絶された思想となって

この澄んだ空をかき擾そう

同胞はまだ生活の苦しさのためぼくを容れない

そうしてふたつの腕でわりのあわない困窮をうけとめている

もしぼくがおとずれていけば

異邦の禁制の思想のようにものおじしてむかえる

まるで猥画をとり出すときのようにして

ぼくはなぜぼくの思想をひろげてみせねばならないか

ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ

きみたちはいっぱいの抹茶をぼくに施せ

ぼくはいくらかのせんべいをふところからとり出し

無言のまま聴こうではないか

この不安な秋がぼくたちに響かせるすべての音を

きみたちはからになった食器のかちあう音をきく

ぼくはいまも廻転している重たい地球のとどろきをきく

それからぼくは訣れよう

ぼくたちのあいだは無事だったのだ

 

そうしてぼくはいたるところで拒絶されたとおなじだ

破局のまえの苦しさがどんなにぼくたちを結びつけたとしても

ぼくたちの離散はおおく利害に依存している

不安な秋のすきま風がぼくのこころをとおりぬける

ぼくは腕と力とをうごかして糧をかせぐ

ぼくのこころと肉体の消耗所は

とりもなおさず秩序の生産工場だ

この仕事場からみえるあらゆる風と炭煙のゆくえは

ほとんどぼくを不可能な不安のほうへつれてゆく

ここからはにんげんの地平線がみえない

ビルディングやショーウィンドがみえない

おう しかもぼくはなにも夢みはしない

 

ぼくを気やすい隣人とかんがえている働き人よ

ぼくはきみたちに近親憎悪を感じているのだ

ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ

きみたちはぼくの抗争にうすら嗤いをむくい

疲労したもの腰でドラム缶をころがしている

きみたちの家庭でぼくは馬鹿の標本になり

ピンで留められる

ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない

ぼくは同胞のあいだで苦しい孤立をつづける

ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ

ぼくを温愛でねむらせようとしても無駄だ

きみたちのすべてに肯定をもとめても無駄だ

ぼくは拒絶された思想としてのその意味のために生きよう

うすぐらい秩序の階段を底までくだる

刑罰がおわるところでぼくは睡る

破局の予兆がきっとぼくを起にくるから

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