川柳「人生は 住宅ローンと 教育費」について



 

 何気なく言った言葉が、奥沢庵さんのご指導のもと、川柳として「創造」の表紙に紹介されました。また、奥沢庵さんからはこれには深い意味があるとご指摘され、はっとさせられました。

  

 思えば私たちの世代は、60年代から70年代の高度成長期に学校教育を受け、70年代半ば以降、社会人として働き始めました。高度成長と戦後民主主義の恩恵を受けた世代です。その後、80年代のバブル期を経て、バブル崩壊の悲哀とその悲惨な後遺症に悩み続けてきました。こうした経済社会情勢の中で、家族と共に家に「住む」という「健康で文化的な最低限の生活」を得るために、巨額の住宅ローンを組み、一生その支払いから逃れられない生活を送ってきた。そのローンは「ゆとり返済」という名で、5年後に支払額が跳ね上がる、一種の「サブプライムローン」であった。当時は5年後には給料が上がっているだろうという、希望的観測のもと組まれるローンであった。当時の金利から言うと、返済額は借入金の約2倍であった。つまり3000万円の借り入れに対して、6000万円支払わねばならないということだ。

さらに恐ろしいことに、バブル崩壊後の金利上昇局面では、毎月の支払額が利息分を賄いきれず、毎月未払い利息が雪だるま式に膨れ上がるという悲惨な状況になった。つまり毎月返済しているにもかかわらず、元本が全く減らずに、代わりに未払い利息が新たな借金となって膨れ上がっていくと恐ろしい事態になった。計算書を見てびっくり、これでは何十年支払い続けても、借金が膨らみ続け、自己破産に陥ってしまうという恐怖に襲われた。仕方なくなけなしの定期貯金を崩して、元金返済に当てた。それでも数年は未払い利息が消えず、その間は元本が1円も減らなかった。

「住む」という最低限生活のために、生涯賃金のほとんどを搾取されたということだ。

 

 また子供を育て、巨額の教育費を支払い、大学教育まで受けさせ、社会に送り出すということは、新たな労働力を社会に供給し、税金を収めるようになる、という側面もある。子供は自分の子供であると同時に、未来の社会を担う「社会の子」でもあるのだ。言ってみれば、社会のための労働力の再生産である。

「住むこと」にほとんどコストのかからない国もある。「教育」は無償の国もある。まさに住宅ローンと教育費は形を変えた税金であり、見えざる搾取である。

 

 しかし、これからの世代はさらに厳しい局面に直面せざるを得ない。私たちの世代は「一億総中流」の名残が有り、何とか子供を大学教育まで受けさせることができた。現在、中間層が没落し、貧困層への転落が加速している。非正規雇用、年収200万円以下の低所得者層の拡大がそれを物語っている。格差拡大はグローバル資本主義、新自由主義の当然の帰結である。貧困層は結婚できず、子供を持てない。子供をもてたとしても、その子はまっとうな教育を受けらない。貧困の遺伝、格差の固定化が始まっている。


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