「アベチャンの大暴走を許す国、日本」  


(某「九条の会」機関紙に投稿した文章です)

 





一、アホのアベチャン、大暴走


 安倍晋三なる政治家を観察すると、その馬鹿さ加減、無知、無教養、傲慢さ、に唖然とさせられる。この政治家は、まっとうに論じるべき対象ではない。ただただ「嘲笑」する対象であり、「揶揄」する対象にしか過ぎない。問題は、なぜこのような政治家が日本国の最高権力者として君臨しているのか?なぜ誰も安倍の大暴走を止められないのか?なぜ日本人はそんなことを許しているのか?ということである。こんな人間に権力(刃物)を与えてはならない。「なんとかに刃物」という危険な状態である。まさに日本の病巣を映し出す鏡のようだ。国際的には「日本の恥」である。日本人は自らの手でこの政治家を引き摺り下ろし、政治的に葬り去らねば、自らの不幸を招いてしまうと思えてならない。

安倍の経済政策アベノミクスならぬアホノミクス(経済学者、浜矩子氏の言葉)についても「嘲笑」「揶揄」の対象であるが、これについては別の機会に触れるとして、ここでは戦争を肯定する嫌な「空気」について書くことにする。

 

二、戦争を肯定する嫌な「空気」


 先の都知事選において、田母神何某という元軍人が、六〇万票を獲得し、しかもその支持層は二〇代、三〇代の若者に多いことが話題になった。この国の「空気」が相当危険になっていることを感じる。そうした空気に便乗し、アホのアベチャンを利用しようとする勢力が確実にいるということだ。安倍自身も田母神支持であるはずだ。若者の感じる「閉塞感」や「やりきれなさ」の受け皿になっている。赤木智弘の論文「丸山眞男をひっぱたきたいー三一歳フリーター、希望は、戦争」(論座2007年1月号)のように今の事態を打開するには戦争しかないと短絡的に思う若者も出てきてしまう。しかし現代の閉塞感はそんな問題ではなく、グローバリズム、金融資本主義、突き詰めれば急激な進歩を遂げた「人間の文明がもたらした閉塞感」ではないか。この閉塞感の中に「安倍晋三」なる政治家が独裁者のごとく振舞うことを許す土壌があるのではないか。

 

三、戦争とは権力者による無差別大量虐殺である


 安倍のお友達である、NHKの会長、NHK経営委員、取り巻き連中の暴言、放言、失言が喧しい。よくぞこれほど品格のない、知性の欠片もない御仁を集めたものだと感心する。さすが「アベチャンのお友達」と言うしかない。しかし彼らの発言は安倍の本音を代弁しているのであって、決して暴言、放言、失言ではない。米欧のメディアもこのことに気づき始め、安倍に対する警戒感を強めている。

「田母神以外の主要都知事候補は人間のくず」と言い放った百田尚樹なる作家は、この言葉がそっくりそのまま自分たちに跳ね返ってくることを知らないのであろうか。しかし百田はひとつだけ真実を言っていると思う。東京大空襲、原爆投下は米軍による大虐殺と言ったことである。アメリカは東京大空襲を計画するにあたって、アリゾナの砂漠で、木と紙と土でできた日本家屋を再現し、どうしたら焼き尽くすことができるかの実験をくり返し行い、日本向け焼夷弾を開発した。なぜ三月十日を選んだのか?この時期は東京に激しい季節風が吹くのである。江戸の町の大火災はこの時期に集中していたこともアメリカは知っていた。一度火が付いた下町の日本家屋は折からの季節風に煽られ焼き尽くすことができる。隅田川と荒川に囲まれたこの地域の人々は逃げ場を失い、川に飛び込み死ぬことも想定していただろう。そこには女子供を含めた多くの一般庶民の生活があった。

さらに原爆はなぜドイツやイタリアでなく、日本に落としたのか?そこには白人による根強い人種差別意識が見て取れる。ヨーロッパに原爆を落とすことにはためらいがあったのであろう。日本人など「イエローモンキー」「東洋の猿」位にしか思っていなかった。日本人は格好の人体実験の道具でしかなかった。それは旧日本軍が中国人を「丸太」と呼び人体実験を行い、虐殺していたことの裏返しである。まさに差別の連鎖である。戦後、広島、長崎にはABCCという原爆傷害調査団が入ったが、ひとりの命も救おうとせず、ただひたすらどういう現象が起きたのかを冷静に観察し、膨大なデーターを持ち帰って日本人には明らかにされなかった。これらはまぎれもなく「無差別大量虐殺」である。

この大虐殺の責任はどこにあるのか?第一には、自ら手を下した米軍と米政府にあることは間違えない。しかし、勝ち目のない戦争に突入し、いつまでも敗戦を認めず、多くの自国民が殺されることを知りながら、自己保身、あるいは国体護持だけを目指して、事態の収拾に動かなかった日本の戦争指導者にも大きな責任がある。この大虐殺の責任は日米両国の権力者にある。

 

四、安倍は何を目指しているのか


 安倍の言う「戦後レジームからの脱却」とは「戦前レジームへの回帰」と言いたいのであろう。アメリカが押し付けた良いところ(それの多くは現代先進国の標準でもある)、日本国憲法、民主主義、主権在民、基本的人権、立憲主義、を否定し、一方ではアメリカが押し付けた悪いところ(それは現代版植民地主義)、米軍駐留、日米安保条約、日米地位協定を温存、推進している。「戦後レジームからの脱却」とは、まず第一に「我が国固有の領土から外国の軍隊は出て行け」と叫ぶことから始めるべきではないか。

安倍は米軍の庇護のもとに大日本帝国の復活を夢見ている。何とも虫のいい話だ。大日本帝国、すなわち「戦前レジーム」は敗れて、否定され解体されたのである。日本は無条件降伏した敗戦国である。東京裁判は、戦勝国が敗戦国の戦争指導者を裁き、戦後の体制を築くためのどうしても必要な儀式であった。日本はそれを受け入れて、国際社会に復帰したのである。戦争指導者が目指した国体護持は「象徴天皇制」として生き延びた。靖国神社は廃止の議論があったが、一宗教法人として生き延びた。

それとも、安倍はもう一度アメリカと戦争をやって、勝って真の独立国を目指そうとしているのか。そうであれば、見上げた根性であり、理論的整合性はとれている。しかし、アメリカともう一度戦争をやって勝てると思っている人間は一人もいない。憲法改悪がままならず、集団的自衛権を憲法解釈で認めさせようと卑劣な画策をしているが、これは単に自衛隊がアメリカ軍の傭兵、下請け軍隊になるだけだし、日本国内が攻撃やテロを受ける危険性が生じる。安倍のやろうとしていることはでたらめである。

 

五、領土と原発


 領土問題はナショナリズムを煽る格好なネタである。米政府は日中、日韓の軋轢に懸念を表明している。しかし、一方でアメリカの産軍複合体は領土問題を煽り、何の役にも立たない在庫処分品の兵器を日本に高値で売りつけようとしていると思えてならない。領土に関していえば、原発事故によって人が立ち入れない土地を作ってしまったということは、膨大な領土を失ったと同じことなのだ。領土面積、利用価値から言えば、それは尖閣や竹島の比ではない。しかも「美しい瑞穂の国」のかけがえのない国土を、我欲、物欲、汚い金のために汚してしまったのだ。なぜ「保守」とか「愛国主義者」とか言われる人たちは、このことに真剣に怒らないのだ?「原発推進」だの「原発輸出」だの、とても正気の沙汰とは思えない。

 

六、日本の生きる道は


 日本はどんな弱小国家と戦争しても決して勝てない。戦後約七十年、日本は戦争を想定した国づくりを一切やってきていない。全ての国家機能を東京に一極集中させ、全国に54基も原子力発電所という名の「核地雷」を埋め込まれている。原発に爆弾を落とされたら、工作員がちょっとした工具を持って原発に侵入すれば、原発は「核地雷」に変貌する。白旗を上げるしかない。戦争相手国が核保有国でなくても、日本は容易に核攻撃を受ける国になってしまっている。もはや日本の選択肢に「戦争」はない。平和憲法を盾にとって根強い外交を展開するしかない。そして米軍を追い出し、アメリカからの真の独立を勝ち取るしか日本の将来はない。




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