「しがないサラリーマンから見た日本社会の激変」

               20115月 「九条の会」機関誌へ投稿

 

私は昭和二十六年(1951年)卯年生まれで今年還暦を迎える。

テレビのない時代に生まれて、現代の高度情報化社会に至るまでの社会の激変を見てきた。

60年代から70年代にかけての高度経済成長と戦後民主主義の恩恵を受けて育ってきた。

日本人が急激に豊かになっていく過程であった。

images (2).jpgしかしこの経済成長は実は朝鮮戦争とベトナム戦争があったためもたらされたものであり、多くの人々の屍の上に築かれたものであることを忘れてはならない。

この間、60年安保、ベトナム反戦運動、全共闘運動から連合赤軍事件に至るまで激動の時代であったといえる。

私たちの世代はこうした激動の渦中を生身で体験した最後の世代であろう。

 

 私が大学をやっとの思いで卒業できたのは77年、オイルショック後の就職難の時であった。

いわば最初の「就職氷河期」と言える。大手企業の採用中止の張り紙が数多く学校の掲示板に張られた。それでも中小企業の求人はあった。私は大手企業志向ではなかった。

取りあえず就職してやり甲斐があればそのまま居るし、駄目なら転職を考えようという程度だった。

問題はやりがいだった。このころの就職活動は大体4年生の秋ごろからそろそろ会社訪問を始めるか、といった状態だった。今の大学生は3年生から就活をはじめ、なかなか内定が取れない。本当に気の毒に思う。当時私が面接に行った中小企業は高飛車のところも多く、いやな思いもした。

images (4).jpgある経営者は「今まで大学生は中小には見向きもしてもらえなかった。今が大卒を採用する絶好の機会だ。」と言っていた。こうして私は中小の電気部品製造会社に就職した。いわゆる大手電気メーカーの下請け企業であった。

中小企業には独自の技術を持ち、将来有望な会社も多くある。家族的雰囲気で居心地のいい会社も多い。しかし、そうでない会社もある。オーナー経営者のわがままに社員が右往左往させられる会社もある。私は仕事に満足できなかった。

 

images (5).jpgこのころまでは、好況不況を繰り返す景気循環論が当てはまった時代なのであろう。

80年代に入り、景気が上向いた時期に同期入社組は一人二人と転職していった。

大手企業に転職した者もいた。私は80年代半ばにアメリカ系外資の化学会社に転職をした。

三十歳代半ばまではそれなりの経験と専門知識があればキャリアアップは可能である時代であった。

 

 そしてバブルを迎える。85年プラザ合意をきっかけに、日本中がバブル熱に浮かれた。

私達の実感として景気はいいと思ったが、バブルの恩恵を受けたとも思えない。

年齢的にマイホームを手に入れる時期でもあった。しかし、それは一生支払う多額の借金を背負って手に入れたマイホームであった。

バブル期は接待費でゴルフもしたし、銀座、赤坂、六本木と飲み歩いた。

今思えば金融資本主義がもたらしたあだ花ではないか。バブルはあたり前のように崩壊した。

バブル、バブル崩壊によって実体経済が巻き込まれ衰退していく。

このことはバブル崩壊後、私たちは苦しんできたことでもわかる。

バブル崩壊後は各企業で大規模なリストラという名の首切りが公然と行われるようになっheader-h1-a.pngた。首切りはタブーでなくなった。リストラにあえば悲惨であるが、

リストラを免れても、少数精鋭、業務の効率化、成果主義など労働者には過酷な労働条件が待っていた。まさに「去るも地獄、残るも地獄」の世界である。

ちょうどこの時期、90年代中ばからパソコン、携帯電話が一気に普及した。新幹線網も整備された。これによって仕事のあり方も大きく変わった。

以前は可能であった宿泊の出張がなくなった。以前はひとたび出張に出れば連絡がつかず、

夜は温泉に入って現地の美味いものを食べながら一杯飲んでいた。こんなのんびりした時代もあったのだ。

 

64c73b6890902b07342b4c0e8961342d1.jpgところがパソコン、携帯電話、交通網の発達により、こんな風景がなくなった。年から年中携帯電話とパソコンメールに追っかけられるようになった。携帯電話とノートパソコンは常時携行が義務付けられ、どこにいてもメール返信をしなければならない。一日に何十通も来るメールにうんざりしたものだ。パソコン、携帯電話は非常に便利な道具であるが、こと仕事にとっては誠に恨めしい存在である。効率的といえばそうであるが、これによって、監獄に入れられたように監視され、3倍、4倍働かされているような気がした。

 

 

 

 

images (6).jpgこのように労働条件は厳しくなり、リストラは常態化した。私も50歳を機(2001年)に外資化学会社をリストラで退社した。一年近くの浪人の後、中小の部品製造会社に再就職できたが、雇用条件、労働環境はひどく悪化した。ぎすぎすした職場、サービス残業は当たり前、経営者は労働者に対して、試用期間を延長したり、給与カットをしたり、リストラと称する首切りを平然と行うようになった。

 

以下は私の個人的な意見と提言です。

戦後私たちは物質的な豊かさを手に入れた代わりに心の豊かさを失ったといわれる。

しかし、今私たちは同時に物質的な豊かさも失いつつある。

なぜなら、私たちが高度成長やバブルに浮かれている間にアメリカと、その傀儡政権、

官僚、財界の権力によって富の偏在を生むシステムが作り上げられてしまったのではないか。

つまり私たちは心も物もすべてを失いつつある過程なのだ。

格差社会、貧困、若者の就職難、ニートフリーター、派遣切り、過労死、リストラ、失業、自殺者三万人等々、憲法9条より前に憲法25条の生存権を主張しなければならない時代になってしまった。

こんな時代になろうとは誰が想像しただろうか。

 

資本主義の成れの果てが、新自由主義とか市場原理主義と呼ばれるアメリカ型金融資本主義ではないか。

アメリカにはいいところもあるが、悪いところも一杯ある。いわば世界の厄介なモンスター国家である。

もう一つの厄介なモンスター国家、中国が台頭しつつある。

中国は独裁政権を握っているのは共産党という名前だが、内実は完全にグローバル資本主義の枠組みに組み込まれている。

一方日本は独立国だと信じられていたが、敗戦からの戦後史を紐解けば、実はアメリカの事実上の「植民地」であった。

アメリカからの要求を丸呑みしただけの「小泉竹中改革」なるものに、熱狂的支持を与えた人々は実は自分で自分の首を絞めていたことに早く気付くべきである。

 

日本は平和憲法9条を持っているし、独自の歴史、文化、伝統を持っている。

もういい加減アメリカとの距離感をはかり、世界に対する日本の立ち居地はどこにあるのかを

模索すべきではないか?

日本は経済至上主義を見直し、本当に人間にとって幸せとは何かを考える時期ではないか?

日本をこれ程までおかしくしてしまったアメリカの圧力と政官財の権力に対して

私たちはどう向き合うのか?今考えなくてはならない。

そうしないと私たちは、人間としての普通の生活を失ってしまう。

 

 

(追)以上は大震災前の原稿です。被災された方々には心より

お見舞申し上げます。一日も早い復興を皆で成し遂げましょう。

人類に不幸しかもたらさない原子力。嘘と隠蔽で塗り固められた

原発政策を国策としてごり押しした政界、官僚。原発利権に群が

った財界、御用学者。原発反対意見を徹底して黙殺し続けてきた

大マスコミ。心底怒りを覚えます。

 

 

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