「人類滅亡のとき」  

          20125月  某「九条の会」機関誌へ投稿

 

生きとし生けるものは必ず死を迎える。

種としての人類もまた、地球が終わるずっと以前に滅亡のときを迎えるはずである。

しかし最近の現象を見ていると、人類は自然消滅する前に、

かなり早いスピードで自滅への道をひた走っているように思えてならない。

今人類は三つの大きな危機に直面している。1と2は明らかな人災である。

 

1.   放射性物質や有害化学物質による環境破壊は人体を蝕んでゆく。

 

「水俣病」に代表される公害は人の住む環境と人を破壊する。

最たるものは戦争や原発事故による放射性物質の拡散である。

昨年3月11日の巨大地震、大津波は多くに人の命を奪った。同時に福島原発事故を誘発した。

巨大地震も大津波も原発事故も「未曾有」でも「想定外」でもない。

大地震、大津波の記録は日本各地に残っているし、地震学者は、1995年の阪神大震災以降、

日本列島が地震の活動期に入ったことを指摘している。

原発事故に関しては、何十年も前から「心ある」科学者やジャーナリストは

その危険性に警鐘を鳴らし続けてきた。

原発推進という国策のもと、巨大利権に群がった政界、官僚、財界、御用学者、報道は

悪徳ペンタゴン(五角形)を作り上げた。原発に警鐘を鳴らす意見は完全に抹殺され続けてきた。

福島原発の破局的事故にもかかわらず、

報道は国と東電のいい加減な情報を「大本営発表」のごとく垂れ流している。

事故対応を巡り、日本はこれ程ひどい国だったかと唖然としてしまった。

チェルノブイリ原発事故の時、旧ソ連は少なくとも住民を避難させた。

しかし日本は情報を隠ぺいしたまま住民を放置し、被曝をさせた。

日本は安全安心のいい国だと思っていたら、とんでもない。

危機に直面して、旧ソ連以下のひどい国家であることが露呈してしまった。

数十年前を思い出した人が多いのではないか。「大本営発表」に騙され続け、

ふたを開けてみたら実は全部嘘で、壊滅的敗戦を喫していた。

戦後日本は民主主義の国になり、驚異的な経済成長を成し遂げ、日本は大きくいい方に変わったかに見えた。しかし、実は日本の権力構造は何も変わっていないのではないかと思えてくる。

幸い戦前と違い、現在の我々は様々な情報を本、雑誌、インターネットを通じて得ることができる。

どちらが本当の情報かは人としての常識を持っていればわかるはずだ。

しかし、多くの日本人は、新聞、テレビなど大手マスメディアの報道に洗脳されている。

日本という国家が破滅し、人類が滅亡しかねない事態に立ち至ってもなお、

悪徳ペンタゴンとそれに簡単に騙され続けている、我が日本人はいかに能天気か、言葉を失う。

まき散らされた放射性物質は人の住むべき環境や食物を汚染し、明らかに人体を蝕んでゆく。

これは確実に人類を滅亡に導く。

 

2.   世界的に政治・経済・社会システムが破綻し、崩壊の過程にある。

 

200年前の産業革命以降、人類は大きな進歩を遂げた。

科学技術の進歩のため、その間の戦争による破壊と殺戮の規模はとてつもなく大きくなった。

第二次大戦後の政治経済体制は資本主義体制と共産主義体制が対峙する冷戦構造になった。

しかし、1989年、ベルリンの壁崩壊を機に、いわゆる「共産主義体制」が崩壊し、冷戦構造が終わった。

資本主義が勝利したかのように見えたが、その後資本主義が金融資本主義として暴走した挙句、

2008年のリーマンショックで資本主義も崩壊した。

日本の政治経済社会システムも完全に行き詰っている。

議論を重ねて、これから新たなシステムつくりをしなければならない。

 

3.   天変地異による災害。これは天災であり、人間の力ではどうにもならない。

 

恐竜絶滅の原因となった巨大隕石の衝突など、どんな天変地異が起こるかわからない。

特に日本は、地下深くに四つのプレート(地殻)がひしめき合う世界一の地震国であり、火山国である。

「日本沈没」が冗談とは思えなくなる。

また、日本列島はその成り立ちから、美しい自然がある代わりに山崩れ、土砂崩れ、洪水が起きやすい。

台風の通り道でもある。地震、津波、火山噴火、台風、土砂崩れ。

日本で生きる以上、自然災害は避けては通れない。これらとうまく付き合っていく以外にない。

 

ホモ・サピエンスが誕生したのが約20万年前、恐竜が絶滅した6500万年前から遥か後である。

有史は何千年単位に過ぎない。そしてわずか200年前に起きた産業革命以降、

人類は科学技術を大きく発展させた。その中でもここ数十年は異常ともいえる程駆け上ってしまった。

数十年前の生活を思い起こして欲しい。家電製品を含め、身の回りの生活必需品は何もなかった。

こんな生活は若い人たちに想像できるだろうか。

人類は科学技術の進歩によって、地球も自然も征服できると錯覚したのではないか。

しかし宇宙137億年、地球46億年の歴史からみると、人類が生かされている時間はほんの一瞬にすぎない。そして「奇跡の一瞬」でもあるのだ。人類は時間的にも空間的にも誠に小さな存在である。

人類はここでちょっと立ち止まり、文明、科学技術、拝金主義一辺倒の政治経済社会システムを

根本的に見直して、これからの「人の生き方」を問い直すべきではないか。

人類は自滅すべきではない。

生かされているこの「奇跡の一瞬」を大切にし、

少しでも長く後世の人々に生命を引き継いでいくべきではないか。

 

人は時代を超えて生きることはできない。

人類の歴史の中で、人は生まれ落ちたその時間的一地点から長くて百年、

その与えられた時代を生きなければならない。誰にも制御できないし、選ぶこともできない。

生き物の生命(いのち)とは、そういうものなのだ。

しかし、人の思想、その言葉は時代を超えて生きのびる。

 

これからの厳しい時代を生きなければならない若い人達へ、

私が尊敬する物理学者であり哲学者でもある武谷三男氏(1911年〜2000年)の言葉を贈る。

奇しくも今からちょうど百年前に生まれた人である。

あまり知られてはいないが、原子力発電所を「トイレのないマンション」と名付けたのは武谷三男氏である。今から数十年前に、彼は原発から出る膨大で猛毒な放射性廃棄物を処理する技術を人類は持っていない。

この技術を持っていない以上原発を手掛けるべきではないと指摘している。

 

    言葉(昭和十八年三月 太平洋戦の渦中にて)

 

    人間の理性は

    如何なる困難に面しても

    必ずそれを貫く道を見出すものです

    いま現実は

    私の心を悲しませていますが

    人間の人間に対する愛が

    人間のすぐれた理性を勇気づけて

    必ずすばらしい道を

    切り拓くでしょう

 

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