時代を読み解くキーワード 7 「貧困」

 

1.貧 

 二十一世紀の現代において、この言葉が蘇えろうとは夢にも思って見なかった。

産業、科学技術が高度に発達し、情報化が進み、私たちの暮らしはここ数十年で格段に進歩を遂げた。

日本において、1960年代から1970年代の高度経済成長を経験し、「一億総中流」という意識が

私たちの中に根付いた。私たちはささやかな豊かさを手に入れ、これからの暮らしはよくなりこそすれ、

これ以上悪くなることは誰も想像できなかったのではないか?

しかし、貧困は若い世代を中心に広がりつつあるのが実情だ。

ニート、フリーター、派遣、ネットカフェ難民などと呼ばれる

若者は、定職を持てず、住むべき家を持てず、家族も、恋人も、友人もなく、親族との関係も疎遠である。

おおよそ社会との関わりが希薄な生き方をしている。唯一持っているものは「携帯電話」である。

これは贅沢品ではなく、彼らにとって日雇いの仕事を得る為の「命綱」であるのだ。

 彼らが表舞台に出るのは、若者の貧困問題に取り組んでいる人たちが企画した「年越し派遣村」が

マスコミに取り上げられた時と、「秋葉原無差別連続殺人事件」など犯罪に関わった時である。

それ以外の時は、彼らは社会の底辺に深く静かに潜り込み蔓延している。

 

2.私たちの望むものは?

私たちの望むものは、権力を手に入れることでもなければ、巨万の富を築くことでもない。

憲法25条にあるように、「健康で文化的な最低限度の生活」を勝ち取れればそれで良いのだ。

「普通の暮らし」ができれば良いのだ。人間の生きるスペースなど限られたものだ。

「起きて半畳、寝て一畳」で十分で、「プール付きの豪邸」など必要ないのだ。

政治的、経済的、社会的に差別や迫害を受けず、家庭を持ち、子を育て、細々で良いから生命を

つないでいければ良いのだ。そして一番恐れていることは、国家権力など巨大な力によって危害を加えられたり

殺されたりすることなのだ。戦争で死ぬこと、「思想信条表現の自由」を奪われて拘束されること、

謂れ無き罪に問われる冤罪、公害や放射能におかされて死ぬこと、経済的困窮に耐え兼ねて

自殺すること、これらはみな「権力に殺される」ということなのだ。

 ある人は言うかもしれない。「俺はそんな生き方は嫌だ。権力や富を手に入れるため頑張るのだ。

そのためには命もかけるのだ。」と。

「どうぞご勝手に!」

しかし世界中で富を独占している1%の人たちは既に決まっているし、99%の普通の人たちがいるから

この世界はいびつな形で成り立っていることを知って欲しい。

そしてアメリカンドリームのごとく野心を燃やした人々も、ほんのひと握りしか成功しないことも。

あなたたちの野心(強欲)が私たちに危害を加えることも知るべきだ。

弱肉強食の世界とは、99%の「弱肉」がなければ、1%の「強食」は生き残れないのだ。

 ところで、私たちの望むものは、「普通の暮らし」である、と言った。

なんと意欲のない?なんと向上心のない?なんと低い目標か?なんとつまらない願望か?という人もいるかと思う。

しかしこれが実に難しい課題なのだ。人類永遠の願望かもしれない。

世界中には毎日戦争で多くの人が死んでいる。餓死病死は当り前。先の戦争では320万人の日本人死んだ。

そしていつ私たちがこのような渦中に巻き込まれるかわからないのだ。

現に今、この豊かであるはずの日本で若者たちは「貧困」に陥っている。

「普通の暮らし」があるから、次の段階として、意欲、目標、向上心について語れるのだ。

 

3.貧困大国アメリカ

 ジャーナリスト堤未果の著書に「貧困大国アメリカ」がある。今のアメリカに徴兵制はない。

しかし軍に志願する若者は後を絶たない。

リクルターと呼ばれる、これまた若者が一本釣りのように「志願兵」を釣り上げるのだ。

若者の貧困が蔓延しているためだ。軍に志願すれば「大学教育が受けられる」「家族共々健康保険証が持てる」

「兵役後には定職に就ける」などの甘言を弄して若者を騙しているのだ。

しかし、イラクやアフガニスタンでの戦争のように、志願した若者たちは、無残にも殺されるか、

生き残ってもPTSD(心的外傷後ストレス障害)に犯され廃人同然になってしまう。

こんなことはアメリカ政府も軍も分かりきっている。徴兵制を廃止しても何も困らないほど若者は貧困に陥っている。

 一方、サブプライムローン問題のように、支払いが滞る事がわかっている家庭に多額の借金を負わせて家を与え、

その後「追い剥ぎ」のごとく家から追い出し、家を奪い取る。

アメリカはもはや壮大なる「追い剥ぎ国家」「火事場泥棒国家」そして「殺人国家」なのである。

以下のような漫画がアメリカの新聞に載ったらしい。

1960年代、1970年代の中流家庭、広い芝生の庭に大きな家、車が2〜3台ガレージの置いてあるような家庭は、

もはや博物館行きの骨董品になっているようだ。

2000年代のアメリカ人は博物館でこれを見て「こんな時代もあったのかぁ!」と感慨深げに見ている漫画である。

 そして我が日本は、何年か遅れでアメリカの後追いをしている。

 

4.貧困問題に取り組む若い人たち

 貧困問題に取り組む若い人たちが多く出てきている。

NPO活動や、評論、社会運動として活動しているのを見ると心強く思われる。そのうち何人かを取り上げたい。

 

湯浅誠(1969年生まれ)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B5%85%E8%AA%A0

2008年末、日比谷公園で行われた「年越し派遣村」村長。

自立生活サポートセンター・もやい事務局長・反貧困ネットワーク事務局長。

 

雨宮処凛(あまみやかりん)(1975年生まれ)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E5%AE%AE%E5%87%A6%E5%87%9B

元右翼活動家、右翼パンクバンドのボーカル。その後、右翼思想に疑問を感じ、左翼に転向した。

佐高信に言わせれば、「左翼から右翼に転向した人間は五万といるが、右翼から左翼に転向した人間はほとんどいない、

珍しい人」である。

また彼女は言っている。

1970年前後の学生運動を知って、私が生まれる少し前に、この日本でこんなことが起こっていたなんて

信じられないと思った。多分よど号ハイジャック事件や連合赤軍事件が、

その後の若者たちから政治問題、社会問題に関わることを奪ったのではないか。

社会の矛盾から目をそらさざるを得ない状況を作ってしまったのではないか。

私たちはこれらの問題を語ることすらタブーという雰囲気があった。」

 

堤未果(30歳台後半か?)

  前述した「貧困大国アメリカ」の著者。

ばばこういちの娘。夫は川田龍平。

 

赤木智弘(1975年生まれ)

  「論座」20071月号に「丸山眞男をひっぱたきたいー31歳フリーター、希望は戦争。」を発表して話題になった。

自分は今フリーターをやっていて、正社員の道は閉ざされている。将来について夢も希望もない。

いずれ自分は経済的に死ぬ(殺される)だろう。同じ死ぬ(殺される)なら戦争で死ぬのも一緒だ。

いっそ戦争が起こって、人が間引かれ、正社員たちも間引かれ、

生き残っていれば正社員の座が回ってくるかもしれない。

丸山眞男をひっぱたきたいとは、こんな我々を左翼勢力は見捨てているではないかという批判である。

ざっとこんな内容だと思う。

  この人は貧困問題に取り組んでいるわけではなく、貧困問題を裏側から痛烈に批判していると私には思える。

本人は文章通り、真剣に思っているのだろうが、私には強烈な皮肉に思える。

私たちはこういう人にも真面目に向かい合える姿勢が必要である。

 

5.経済学の潮流

 私が若い頃は、経済学にはマルクス経済学と近代経済学の二つの潮流があって、

前者はマルクス、エンゲルス、後者はケインズに代表されると教えられた。

資本主義が発達する過程において、近代経済学も様々に枝分かれしたようである。

大恐慌後に取られたアメリカのニューディール政策はケインズ的政策と言われる。

その後、ケインズさえも社会主義的と批判する流れが生まれ、新自由主義とか市場原理主義とか呼ばれる。

これを主導した経済学者は、フリードリッヒ・ハイエク(1899年〜1992年)と

ミルトン・フリードマン(1912年〜2006年)である。フリードマングループはシカゴ学派とも呼ばれる。

しかし、新自由主義とは全く“新”ではなく、アダム・スミスの「神々の見えざる手」を焼き直したに過ぎないと思われる。何でも市場に任せておけばうまくいくという考えだ。

しかしこのために1929年の世界大恐慌が起こり、ケインズ的政策で乗り切ったのではなかったのか。

 この潮流が強くなるのは、レーガン米大統領、サッチャー英首相の時代からである。

彼らの理論的支柱はハイエクであり、フリードマンであった。日本で言えば中曽根康弘総理大臣の時代である。

日本での象徴的出来事は国鉄の民営化(会社化)である。

時はあたかも産業資本主義が終焉し、金融資本主義の段階に移行する時代である

。この段階で資本主義は最終段階に突入したと考えられる。

そしてこの潮流は、ブッシュ、小泉純一郎へと引き継がれていく。

貧困が生まれたのは、明らかに新自由主義、市場原理主義が原因である。1%の富者と99%の貧者を生むシステムである。

 

6.資本主義以降の世界

 金融資本主義はもはや完全に行き詰っている。

アメリカに象徴されるように、金融資本主義は戦争を前提にしなければ、もはや成り立たない状況に陥っている。

矛盾は貧困、差別、テロ、戦争となって顕在化している。貧困と戦争は一本の糸でつながっているのだ。

資本主義は次のステージに行かなければならない。

それは「修正資本主義」とも呼んでもいいし、「共生経済」と呼んでも良い。

あるいはマルクスの言う「資本主義の最終段階を経た後に訪れる共産主義」かもしれない。

いずれにしても今までの資本主義を終わらせない限り、人々は「普通の暮らし」が得られないのではないか。

 

参考文献:



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