正力松太郎はCIAのエージェントだった(工事中)

 

1.正力松太郎(1885年〜1969年)の略歴

「正力松太郎」とはずいぶん古臭いテーマだと思われる。「原子力の父」「テレビ放送の父」「プロ野球の父」とも呼ばれる。何十年前の子供の頃に聞いた言葉だ。しかし、これには戦後、アメリカによる日本支配の原点があるのではないかと思う。

正力松太郎は戦前からの警察官僚であった。大正時代の米騒動の鎮圧や、関東大震災の時、「朝鮮人の暴動デマ」を流し、朝鮮人大虐殺を煽った。戦前戦中は大政翼賛会に関わり、貴族院議員でもあった。戦後、占領軍によりA級戦犯に指定され

巣鴨プリズンに収監された。しかし、どういう訳か不起訴となり、釈放された。

戦後、正力は一時公職追放されたものの、読売新聞社主として読売新聞の部数拡大を行い、日本テレビを創設した。

だが、同じA級戦犯である東条英機や広田弘毅らが処刑されたにもかかわらず、なぜ岸信介、正力松太郎らが釈放され、

再度権力を手中にできたのか?天皇はなぜ一切の戦争責任を問われずに、象徴天皇として生き延びたのか?

そこには、戦後アメリカによる日本支配の謀略が隠されている。

 

2.アメリカのよる日本占領政策

戦後すぐのアメリカの日本占領政策は、言うまでもなく再軍国主義化の阻止であった。

これを実現するために、民主化政策、国民主権、軍隊及び戦争の放棄を強要した。

ここで問題となるのは天皇の取り扱いである。本来であれば、戦争犯罪の最高責任者として、処刑されるのが筋であろう。

ところが、マッカーサーのところには広く国民から天皇助命嘆願書が寄せられたそうだ。そこでアメリカは考えた。

日本人は天皇を頂点として統治する方が容易に統治できると考えた。しかし、これでは民主化政策と矛盾する。

苦肉の策、一切の政治権力を持たせない「象徴天皇」を考え出した。

アメリカという国は、自分たちの利益のためには筋を曲げようが、屁理屈をつけて前言を翻そうが、何でもありの実に身勝手な国なのだ。戦争、裏切り、陰謀、謀略、暗殺、など大好きな国だ。

 小学生時代、まずい脱脂粉乳とパサパサのパンを給食で食べさせられた。

これは戦後アメリカが作りすぎて処分に困っていた家畜用飼料を日本の給食に転用できないかということで、

取られた処置であった。今思えば、私たち世代はアメリカから家畜同然の扱いを受けて育ってきたのだ。

 

 昭和23年ころから、ソ連、中国の共産主義が台頭し、冷戦構造が始まった。アメリカによる日本占領政策は、

「再軍国主義化阻止」から「反共産主義の防波堤」へと変わった。

 

. 正力はCIAのエージェントであった

 さてそこで釈放されたA級戦犯である。A旧戦犯中、大半は処刑あるいは獄中死した。

東京裁判による戦争責任の決着がつけられた。

しかし岸信介、正力松太郎はアメリカにとって利用価値ありと判断されたのだろう。

アメリカとの裏取引があったことは容易に想像できる。岸は内閣総理大臣にまでなり、日米安保条約を成立させた。

正力も復帰し、日本のマスメディアを支配した。

 早稲田大学の有馬哲夫教授はアメリカ公文書館で公開されている外交文書から、正力とCIAの関係を発見している。

正力はCIAのエージェントであった。暗号名「PODAM」という名を付与されている。これは「我通報す」という意味らしい。つまり、正力は自分の利益とCIAの利益とを両天秤にかけながら行動してきたと思われる。

 

4.原子力発電の導入

 原発の導入はアイゼンハワーの「atoms for peace」(原子力の平和利用)から始まった。

正力は原子力の意味をほとんど理解していなかったようだ。

何かこれは無限の力が有り、これを握っておけば大きな権力を手中にできる、

将来総理大臣の座も狙えるという権力亡者特有の臭覚が働いて手を染めるようになったようだ。

当時の若手政治家、中曽根康弘とつるんで、原子力予算2億3500万円(ウラン235に因んでこの数字にした)

をごり押しした。これが日本における原発導入の原点である。

参考資料 原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原子力戦略〜

 

5.テレビ放送の導入

 私は幼少の頃、曾祖母に手を引かれて公園に出かけ、テレビを見に行ったものだ。テレビ放送開始直後である。

テレビを置いてあったのは、私の家の近くでは公園であった。多分町には「街頭テレビ」があったのだろう。

当然黒山の人だかりである。

時間になると係りの人がもったいぶって観音開きの扉が開き、丸いブラウン管テレビに薄暗い画像が写ったものだ。

確か力道山のプロレスだったと思う。その頃のテレビコンテンツは「力道山」しかなかった。

その次にテレビが入ったのは「蕎麦屋」であった。そばを食うかどうか別にして、人だかりができた。

その次は一般家庭である。小学生低学年の時、クラスの中で一人か二人の裕福な家庭がテレビを買ったという情報が入ると、クラス皆でその家庭に押しかけてテレビを見た。放送時間が決まっており、確か夕方7時頃から1、2時間くらいしかない。そんな時間にクラス全員大挙して行っても、その裕福な家庭は嫌な顔ひとつせずテレビを見せてくれた。

そのとき見たのが「名犬ラッシー」であった。この頃には徐々にアメリカのドラマが入ってきていた。

一般家庭に一挙に普及したのは昭和34年、いわゆる「皇太子ご成婚」であった。

そしてカラーテレビが普及したのは昭和39年「東京オリンピック」であった。

 

正力が推し進めたテレビ放送導入の裏には、CIAの影があった。

テレビの導入、普及はアメリカにとって利益有りと判断されたのであろう。

テレビほど大衆洗脳にとって都合の良い道具かない。テレビ普及と同時にアメリカのテレビドラマが大挙して入ってきた。

それは、日本をアメリカナイズさせよう、アメリカは豊かで良い国だと印象付けよう、

アメリカを目指して日本も経済発展させよう、と日本人に思わせるよう仕向ける。

その頃どんな番組があったか。思いつくまま列挙してみる。どれも夢中で見たものだ。

 

名犬ラッシー

ララミー牧場

ローハイド

パパはなんでも知っている

うちのママは世界一

ガンスモーク

ライフルマン

サンセット77

ルート66

コンバット

 ディズニー(金曜日20時からのゴールデンアワー、プロレスと隔週で放送されていた)

 

「パパはなんでも知っている」などはアメリカの中流家庭がこんなにも裕福なのかと思い知らされた。

芝生の広い庭、大きな家に自家用車、大きな冷蔵庫から出される豊富な食材。本当に憧れたものだ。

しかし日本の国土は狭い上に高人口密度、ああゆうふうにはならないではないかと思った。

 コンバットは夢中で見た。厳しい状況の中で、アメリカ兵士たちの葛藤、友情、人間ドラマは面白かった。

今思えば、悪玉ドイツ兵はたくさん殺されるのに、血一滴流れないのには違和感がある。

これもアメリカ軍のプロパガンダだったのか。

 

6.プロ野球の父

言わずと知れた、我が栄光の巨人軍物語である。

大衆を洗脳する道具は3Sと呼ばれる。SPORTSSEXSCREENである。

テレビはこれらを宣伝するには格好の道具である。政治的、社会的問題から大衆の目をそらす最適な道具なのだ。

プロ野球巨人戦は最高のコンテンツであった時期が長く続いた。

このような戦後の原発推進、娯楽番組の流れの裏には、常に正力とCIAの影があった。

 

 参考文献:有馬哲夫「原発・正力・CIA

      有馬哲夫「日本テレビとCIA」

 

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