「赤とんぼ」「ふるさと」

 

まず、「赤とんぼ」と「ふるさと」を取り上げます。この二つの代表的な童謡唱歌は、奇しくも日本の代表的な政治社会運動において登場したことに不思議な感慨を覚えます。

 

19551957年の砂川闘争と「赤とんぼ」。   

東京都立川市砂川町の米軍立川基地(現在は昭和記念公園などになっている)拡張について、地元住民、一般市民、労働者、学生が反対運動を展開した。夜間、機動隊と激しく対立した時、反対派の中からは革命歌でも労働歌でもなく、自然発生的に「赤とんぼ」の唄が聞こえてきてやがて大合唱になった。「戦争は嫌だ」「基地をなくしたい」という思いは右でも左でもなく、イデオロギーでもなく、「日本の平和で美しい国土を守りたい」という純粋な気持ちから発しているが故に、「赤とんぼ」の大合唱になったのではないかと思われる。私の父親は、戦後の動乱期、何とか某エネルギー企業の現業労働者の職を得ていた。そこで労働組合運動に加わり、砂川闘争当時は労働組合専従者であった。砂川闘争に加わり、「赤とんぼ」の大合唱になったことを私に語ってくれた。

 

赤とんぼ 安田祥子、由紀さおり

赤とんぼ 飯田ふさ江

 

 

2011年〜 首相官邸前「反原発集会」と「ふるさと」

 

 砂川闘争から四十数年、首相官邸前、反原発集会で「ふるさと」が歌われている。確かにここでは「インターナショナル」「ワルシャワ労働歌」は似合わない。我々以上の年代の人たちはこれらの歌を知っているだろうが、誰も歌わない。代わって出てきたのが「ふるさと」である。自称B級アイドル、藤波心ちゃんがよく歌っている。砂川闘争と同様にうたわれる唄が童謡唱歌であることがこの二つの運動に共通点があるのではないかと想像できる。「美しい日本の国土を守りたい」「そこで暮らす日本人の健康と生命を守りたい」「それらを脅かすものには絶対反対である」という気持ちは、右でも左でもなく、イデオロギーでもないと思う。

 

 ふるさと 藤波心

 ふるさと 東京放送児童合唱団

 

 

世はまさにグローバル資本主義の時代。グローバル資本が目指すものは、「世界単一市場」と地域、民族特有の歴史的、文化的、伝統的な特殊性、特異性を一切持たない、物言わぬ従順な「被搾取者の群れ」である。グローバル資本は様々な文化、伝統も、そして様々な言語までも邪魔者扱いし葬りさろうとしている。それによってより一層の「富の集中」を図りたいのだ。そのためには「被搾取者の群れ」などとことん差別し、むしり取り、殺してしまえばよいと考えている。今こそローカリズムを主張しなければならない。童謡唱歌、昭和歌謡に大きな共感を覚えるのは、こうした非情、非人間的なグローバリズムに対する、日本ローカリズムのささやかな、いや強力な抵抗であるのではないかと思われる。ぜひ歌い継いでいきたいものです。

inserted by FC2 system