マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

 

寺山修司のこの歌を初めて目にしたのは浪人の頃だったろうか。初めて東京に出て、予備校と下宿を往復するだけのつまらない毎日だった。受験勉強もろくにせず、将棋の本や小説ばかり読んでいた。

 

image001.jpg夜の波止場、煙草を吸おうとコートの襟を立てマッチを擦る。風は強く、なかなかつかない。ふと海を見ると霧の向こうに俺の国が。そんな情景をこの歌に見たのだが、この人は朝鮮人なんだろうかと、その頃思ったりもした。

が、寺山は青森県生まれ。斎藤茂吉と折口信夫なきあと、戦後の短歌を代表する一人となった。彼がこの歌を詠んだのは確か1961年(昭和36年)だから、26歳の作である。その頃の世代に、果たして身を捨ててまで守る祖国(日本)があったろうか。

 

 

 

なんてことを考えていくと、わけがわからなくなる。短歌というのは、その一瞬の情景を切り取る文学。ストンと読む者の心に落ちればいい。あの頃、『霧笛が俺を呼んでいる』の赤木圭一郎や『俺は待ってるぜ』の裕次郎には、海と霧笛と黒いレインコートがあった。

きっと寺山くんも、あの頃の日活映画が好きだったんだろうな。

 

それにしてもこの歌は寺山の代表作にふさわしい。そらんじて、いつも心にストンと落ちる。皆さん、この歌に何を感じますか。

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