アニメ「攻殻機動隊」に嵌っています





企業のネットが星を被い 電子や光が駆け巡っても 

国家や民族が消えてなくなるほど 

情報化されていない近未来ーー



 



 ここ数十年マンガもアニメもほとんど見たことがなく、たまに夕食時に娘と女房が大好きな「サザエさん」を見るぐらいだったんですが、突然嵌ってしまいました。最初は音楽から、「GOHST IN THE SHELL」の映画の主題歌傀儡謡 謡1(音楽の時間投稿)を聞いて「なんだこれ?」と思った時から引きこまれてしまいました。大和言葉の詩と民謡歌手のコラボ、なんか不思議な懐かしさを感じました。川井憲次さんは数々の映画やドラマの音楽を手掛けていて、「愛地球博」のテーマ音楽にはこのコラボの手法で「めざめの箱舟」を作っています。



1 音楽

 2007年パシフィコ横浜国立大ホールで行われた川井憲次のコンサートの一部です。分と13分でちょっと長めですが聞いてみてください。



川井憲次コンサート(「GOHST IN THE SHELL」Tの主題歌)

川井憲次コンサート(「GOHST IN THE SHELL」Uの挿入歌)イノセンス



 なんとも異様な感じのコンサートで、オーケストラと和楽器とシンセサイザー等、それと民謡歌手十数人の合唱、こんなの初めて見ました。民謡なんてじっくり聞いたことなんかなかったのですが、民謡歌手の歌唱力って素晴らしいものが有りますね。

 「GOHST IN THE SHELL」Tの主題歌の時は民謡歌手3人歌唱を6回合成して作成したそうですが、「GOHST IN THE SHELL」Uイノセンスの挿入歌の作成に当たっては、民謡歌手を75人集めて重厚感をさらに出すために4回合成して作成したそうです。



Tの主題歌(歌詞)



吾が舞えば 麗し女 酔いにけり  (あがまへば くはしめ ゑひにけり)

吾が舞えば 照る月 響むなり    (あがまへば てるつき とよむなり)

結婚に 神降りて            (よばひに かみあまくだりて)

夜は明け 鵺鳥鳴く          (よはあけ ぬえとりなく)



遠神恵賜                (とほかみゑみため)



 この歌詞は、大和言葉で書かれていて何を言ってるのか謡を聞いてもわからないのですが、映画全体を通してのテーマとなっているようです。これが、アニメ画像と一体となると、更に趣のあるものになっていると感じました。ちょっとくどくなってしまいますが、アニメと謡を一緒に見て下さい。



「GOHST IN THE SHELL」Tの主題歌

「GOHST IN THE SHELL」Uの挿入歌(イノセンス) OP

「GOHST IN THE SHELL」Uの挿入歌(イノセンス)



 くどくなったついでに、「GOHST IN THE SHELL」Uの主題歌(イノセンス)も聞いてみてください。これは、傀儡謡とは趣を異にし、アラフェンス協奏曲に詩をつけた「FOLLOW ME」です。演歌歌手だった伊藤君子さんが歌っていますが、良い曲です。伊藤君子さんはこの曲のヒット以降ジャズ歌手に転向して現在活動しているそうです。



「GOHST IN THE SHELL」Uの主題歌(イノセンス) 「FOLLOW ME」



2 ストーリー



 正直言って、くだらないです。原作のコミック「攻殻機動隊」(ヤングマガジン)は士郎正宗さんによるもので、この他にも911以降テロが話題となってから神山健治監督によるTVアニメと同名の映画が作られています。「GOHST IN THE SHELL」は押井守監督によるもので、Tが1995年・Uが2004年に作られています。それぞれ作風は違いのですがキャラクターと設定は同じで、鞍馬天狗か月光仮面のように「テロリスト」=「悪」として、無内容に「体制」を守るために超法規的な暗殺・破壊等を行い「テロ」を防止する組織「公安9課」のお話です。主人公役の「少佐」と呼ばれる草薙素子に至っては、



爆弾を仕掛けていたテロリストが見つかり足首を打ち抜かれ捕まる。

テロリスト「おまえら、体制にもはや正義はなしえない。」

草薙素子「世の中に不満が有るのなら、自分を変えろ。それが嫌なら目と耳を閉じ口をつぐんで孤独に暮せ。それも嫌なら・・・・・」テロリストのこめかみにぐいっと銃口をあてる。



 「体制」を守るためであれば、なんでもする殺し屋集団です。こんな連中がかっこよく「悪」を退治していく話で、「政府」や「電通」にとっては推薦映画なんでしょうが、孫には教育上絶対に見せたくない映画です。そういえば、先日カッコいい映太の「ワイルド7」を見ましたが内容的にはおんなじ展開でした。「テロリスト」と言えば問答無用で殺しても構わない、こんな風潮が作られているのですね。

 とんでもない映画なんですが、押井守監督作品では、メインテーマとして機械と人間の能力がほぼ同じぐらいになった社会で、「人間」て何だろう?という問いかけをしています。



「人形使い」の言葉



 私も心臓を超小型コンピュータで制御され、血管はステンレスパイプになり、朝夕飲む薬で「血圧」「血糖」「血流」を調整されて生きながらえています。でも、人間てこの「脈拍」「血圧」「血糖」「血流」等で感情が作られている。ほぼ、私ってサイボーグ状態かな?未来の世界は、「電脳」「擬体」「サイボーグ」「アンドロイド」等が入り乱れる、人間である証は「ゴースト」のみ?「ゴースト」とは私が私であり、他人ではないその根源となる意識精神。そんな中、あの性悪な「少佐」は自らの「ゴースト」を信じて、「人形使い」(ネット内プログラム)と合体してネット世界に失踪する。生きているのか?死んでしまったのか?

 基本的には、DNAは子孫を残すことがプログラミングされているが、長寿や幸福なんかのプログラムは無いのかも知れない。(姥捨て山の話は実は必要悪だったりして。いやいや、そんなわけないだろが。)



 「人形使い」事件とは、遠隔操作の江ノ島「ゆうちゃん」の事件に似た話です。



 とりとめのない、アニメ映画の感想でした。







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