ペレストロイカって何だったの?(2)
(ソ連崩壊までの東欧・ソ連史その1)
ペレストロイカを調べるために東欧とソ連の関係について第二次世界大戦頃(1939年)からソ連崩壊(1991年)までの年表を作って見ました。ゴルバチョフは「ペレストロイカは革命である」と声を大にして言う。強大な力を持ったソビエト連邦と東欧諸国の関係は、国家・民族・宗教・政治・経済・利権・市民の生活・自由・平等・自主等(物価・賃金から労組・青年・女性問題まで)山積みの問題の中で経過していました。冷戦構造の中で「社会主義」と「民主主義」を調和させるというゴルバチョフ革命は成功したのだろうか。今回は1988年までを整理してみました。激動の1989年〜1991年のソ連崩壊までは次回にします。
1939年 |
8月23日 |
独ソ不可侵条約締結。秘密議定書でポーランドの領土分割を密約 |
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9月21日 |
独、ポーランドに侵攻。第二次世界大戦の開始 |
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9月17日 |
ソ連、ポーランドに侵攻 |
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11月 1日 |
ソ連、「住民投票」の結果に基づきポーランド領を併合 |
1940年 |
7月21日 |
エストニア・ラトビア・リトアニア、ソ連邦に編入 |
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8月 2日 |
モルダビア、ソ連邦に編入 |
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11月20日 |
ハンガリー、日独伊三国軍事同盟に加入 |
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11月23日 |
ルーマニア、三国同盟に加入 |
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11月24日 |
スロバキア、三国同盟に加入 |
1941年 |
4月 6日 |
ドイツ軍、ユーゴ、ギリシャに侵入 |
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6月22日 |
独ソ戦争勃発 |
1942年 |
1月 5日 |
ポーランド労働者党(共産党)設立 |
1943年 |
11月23日 |
ポーランド労働者党書記長にゴムルカ選出 |
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12月12日 |
チェコスロバキア亡命政府のベネシュ大統領訪ソ。対ソ友好相互援助条約締結 |
1944年 |
3月19日 |
ドイツ軍、ハンガリー占領 |
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8月23日 |
ルーマニアでクーデター。対独宣戦 |
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8月30日 |
ソ連軍、ブカレスト入城 |
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10月20日 |
ソ連軍、ベオグラード解放 |
1945年 |
1月17日 |
ソ連軍、ワルシャワ解放 |
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2月 4日 |
〜11日まで、ヤルタ会談 |
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2月13日 |
ソ連軍、ブダペスト解放 |
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3月 7日 |
ユーゴーにチトー首班連合政権樹立、ソ連と友好協力相互援助条約締結 |
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3月27日 |
ソ連当局、ポーランド非共産党勢力の指導者を逮捕 |
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4月21日 |
ソ連・ポーランド友好協力相互援助条約締結 |
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5月 9日 |
ドイツ降伏。ソ連軍、プラハを解放 |
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8月22日 |
ポーランド農民党発足 |
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10月24日 |
国際連合成立 |
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12月 6日 |
ポーランド労働者党第一回大会。ゴムルカ、社会主義への道を提唱 |
1946年 |
1月11日 |
アルバニア、王制廃止。人民共和国宣言 |
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2月 1日 |
ハンガリー、王制廃止。人民共和国宣言 |
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3月 5日 |
チャーチル英元首相、米・フルトンで「鉄のカーテン」演説 |
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5月26日 |
チェコで国民議会選挙。共産党第一党に |
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9月15日 |
ブルガリア、王政廃止。人民共和国宣言 |
1947年 |
1月19日 |
ポーランド総選挙。「民主主義ブロック」の勝利 |
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2月10日 |
パリ講和条約 |
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3月12日 |
トルーマン・ドクトリン発表(封じ込め政策) |
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6月 5日 |
マーシャルプラン発表 |
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9月 2日 |
〜27日まで、ポーランドで欧州主要共産党会議。コミュんフォルム結成 |
1948年 |
2月 4日 |
ルーマニア、ソ連と友好協力相互援助条約締結 |
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2月25日 |
チェコで非共産系十二閣僚辞表提出、共産党が全権掌握(プラハのクーデター) |
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3月 1日 |
ユーゴ党中央委員会、チトーのもとに結束を確認、親ソ派を除名 |
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3月18日 |
ブルガリア、ソ連と友好協力相互援助条約締結 |
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6月24日 |
ベルリン封鎖(〜1949.5.12)冷戦の開始 |
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6月28日 |
ユーゴ、コミュんホルムから追放 |
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8月31日 |
ポーランド労働者党書記長ゴムルカ、民族主義的偏向を理由に解任 |
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12月15日 |
ポーランド統一労働者党の成立(社共合同) |
1949年 |
1月25日 |
経済相互援助会議(コメコン)設置 |
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2月 1日 |
ハンガリー「独立人民戦線」結成、人民共和国に |
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4月 4日 |
NATO(北大西洋条約機構)発足 |
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5月23日 |
ドイツ連邦共和国(西独)発足 |
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8月 5日 |
ポーランド、良心の自由保護令でカトリック教会への圧迫開始 |
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9月 8日 |
ユーゴ、米から2000万ドルの借款獲得 |
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9月29日 |
ソ連、ユーゴとの友好協力相互援助条約を破棄 |
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10月 7日 |
ドイツ民主共和国(東独)の成立宣言。東西ドイツに分裂 |
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11月11日 |
ポーランド統一労働者党、ゴムルカら除名。大量追放の開始 |
1950年 |
2月24日 |
米はルーマニア、ブルガリア、ハンガリーの在米資産凍結 |
1951年 |
7月31日 |
ポーランド、ゴムルカら逮捕 |
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11月14日 |
ユーゴ、米国と軍事援助協定締結 |
1953年 |
1月14日 |
ユーゴ、チトーを初代大統領に選出 |
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3月 5日 |
スターリン死去 |
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8月17日 |
東ベルリンの建設労働者がノルマ引き下げを求めスト突入、暴動が全国に拡大 |
1954年 |
7月 4日 |
ハンガリー首相にナジ就任。「新路線」を打ち出し内政緩和 |
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12月23日 |
ゴムルカら追放 |
1955年 |
2月 8日 |
ソ連でマレンコフ首相解任 |
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4月18日 |
ハンガリー、ナジ首相解任。党政治局から追放 |
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5月14日 |
ワルシャワ条約機構成立 |
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5月26日 |
ソ連首脳がユーゴ訪問。ベオグラード宣言で緊張緩和 |
1956年 |
2月14日 |
ソ連共産党二十回大会でスターリン批判 |
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4月17日 |
コミンフォルム解散 |
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6月28日 |
〜29日まで、ポーランド・ポズナニで労働者の暴動。公式発表で死者五十三人 |
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7月18日 |
ポーランド統一労働者党、対ソ自主路線へ。ゴルムカ復党を決定 |
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10月20日 |
ポーランド統一労働者党第一書記にゴムルカ選出 |
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10月23日 |
ブタペストで市民デモ、保安警察と衝突(ハンガリー事件) |
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10月24日 |
ハンガリーで再びナジ首相就任。自由化政策開始 |
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11月 1日 |
ナジ、ハンガリーの中立とワ条約脱退を宣言 |
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11月 4日 |
ソ連、ハンガリーに軍事介入。カダル新首相就任 |
1958年 |
3月13日 |
ユーゴ共産主義者同盟綱領草案発表。親ソ諸国が一斉に避難 |
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6月17日 |
ハンガリー、ナジ処刑発表 |
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10月24日 |
ゴムルカらポーランド首脳、ソ連訪問。対ソ接近開始 |
1959年 |
1月 1日 |
キューバ革命 |
1960年 |
4月16日 |
中ソ論争表面化 |
1961年 |
4月24日 |
アルバニア、中国と経済援助協定締結。ソ連は援助停止を通告 |
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6月 3日 |
ウィーンでフルシチョフ・ケネディ会談 |
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8月13日 |
東独、市民の対西側脱出防止のためベルリンの壁を設置 |
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9月 1日 |
〜6日まで、ベオグラードで第一回非同盟諸国会議開催 |
1962年 |
10月23日 |
ケネディ大統領、キューバのミサイル基地建設が重大な脅威であるとして海上交通の封鎖を宣言。キューバ危機 |
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10月28日 |
フルシチョフがキューバの攻撃兵器撤収を回答。キューバ危機回避 |
1963年 |
3月30日 |
ソ連中央委員会、対中書簡を公表し、中ソ公開論戦開始 |
1964年 |
4月15日 |
ルーマニア、自主路線を打ち出した党声明採択 |
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10月15日 |
フルシチョフ解任。後任の党第一書記にブレジネフ |
1965年 |
3月22日 |
ルーマニア党第一書記にチャウシェスク選出 |
1966年 |
5月 7日 |
チャウシェスク、コミンテルン批判 |
1967年 |
6月27日 |
チェコ作家同盟大会で激しい政府批判 |
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10月31日 |
プラハで私淑者の管理改善を要求する学生デモ、警察が鎮圧 |
1968年 |
1月 5日 |
チェコでドプチェク党第一書記就任。改革路線への転換(プラハの春) |
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3月 8日 |
ポーランド古典の上演禁止に抗議、ワルシャワで学生デモ。当局が介入(3月事件) |
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4月 1日 |
〜5日まで、チェコ共産党中央委員会、新行動綱領で独自路線を打ち出す |
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6月27日 |
チェコ、「二千語宣言」発表。対ソ緊張 |
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8月20日 |
ソ連・東独・ポーランド・ハンガリー・ブルガリア軍二十万、チェコに軍事介入ドプチェクらを逮捕、モスクワに連行(チェコ事件)ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論) |
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8月21日 |
ルーマニア、ユーゴ、ブルガリア、軍事介入を批判 |
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9月13日 |
アルバニア、ワ機構脱退を発表 |
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10月16日 |
コスイギン・ソ連首相、チェコ訪問。ソ連軍駐留協定に調印 |
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11月27日 |
ユーゴ・コソボ地方のアルバニア人が権利要求のデモ |
1969年 |
4月17日 |
チェコ共産党中央委員会、ドプチェク解任。幹部会から改革派排除 |
1970年 |
12月12日 |
ポーランド・グダニスクのレーニン造船所で食料品値上げに抗議、スト突入。該当で治安警察と衝突。暴動はバルト海沿岸地方に拡大(12月事件) |
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12月19日 |
ゴムルカ解任、後任にギエレク。ポーランド、外資導入政策へ |
1971年 |
5月14日 |
ブレジネフ、東西兵力相互削減交渉提唱。デタント路線 |
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11月21日 |
ユーゴ、クロアチア共和国で学生スト。共和国指導部、引責辞任へ |
1973年 |
9月18日 |
東西ドイツ、国連加盟 |
1974年 |
3月28日 |
ルーマニア、チャウシェスクを初代大統領に任命 |
1975年 |
7月30日 |
〜8月1日まで全欧安全協力会議(CSCE)でヘルシンキ宣言採択 |
1976年 |
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アンジェイ・ワイダ「大理石の男」を制作 |
1977年 |
1月 6日 |
チェコの自由派詩人「憲章77」発表、人権抑圧を非難 |
1978年 |
10月16日 |
ポーランド人法王、ヨハネ・パウロ2世就任 |
1979年 |
6月 2日 |
ヨハネ・パウロ2世、ポーランドへ帰国 |
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12月27日 |
ソ連、アフガニスタンに軍事介入 |
1980年 |
5月 4日 |
ユーゴのチトー大統領死去 |
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7月 1日 |
ポーランドで食肉値上げ。各地でスト |
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8月14日 |
グダニスクの造船所労働者、同僚の解雇に抗議、スト突入 |
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8月16日 |
ポーランド工場間ストライキ委員会(MKS)結成(ワレサ議長) |
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8月24日 |
グダニスクのMKSに知識人の専門家委員会発足 |
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9月 6日 |
ギエレク辞任。この年ポーランドの対外債務は200億ドルに。事実上破産 |
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9月17日 |
ポーランド独立自主労組「連帯」発足 |
1981年 |
2月11日 |
ヤルゼルスキ、ポーランド首相に就任 |
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5月10日 |
「連帯」代表団訪日 |
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9月 5日 |
〜10月7日まで、「連帯」労組第1回大会 |
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12月13日 |
ポーランドに戒厳令。ワレサほか「連帯」活動家ら6700人余を拘留 |
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12月24日 |
米政府、対ポーランド制裁処置を発表 |
1982年 |
10月 9日 |
ポーランド国会、新労組法を採択。「連帯」を非合法化 |
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11月10日 |
ブレジネフ死去、後任にアンドロポプ |
1983年 |
7月22日 |
ポーランド戒厳令を解除 |
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11月 5日 |
ワレサ、ノーベル平和賞授賞 |
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10月20日 |
東独機関紙、ソ連のミサイル配備を非難する投書掲載 |
1984年 |
2月 9日 |
アンドロポプ死去。後任にチェルネンコ |
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9月 4日 |
ホーネッカー・東独国家評議会議長の西独訪問、ソ連の圧力で実現せず |
1985年 |
3月10日 |
チェルネンコ死去。後任にゴルバチョフ。ペレストロイカ政策へ |
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11月 6日 |
ヤルゼルスキ、ポーランド国家評議会議長に就任 |
1986年 |
4月26日 |
チェノブイリ原発事故 |
1987年 |
9月 7日 |
ホーネッカー、西独訪問 |
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10月25日 |
「連帯」全国執行委員会発足(ワレサ委員長) |
1988年 |
2月 1日 |
ポーランド食肉値上げ。全国で抗議行動 |
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2月20日 |
ソ連アゼルバイジャン・ナゴルノカラバフ自治州でアルメニア人暴動激化 |
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5月 2日 |
グダニスクのレーニン造船所にスト波及。ワレサ自重を訴え |
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5月10日 |
レーニン造船所のスト、労働者の自発的退去で終結 |
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9月22日 |
ソ連、ナゴルノカラバフ自治州に非常事態宣言 |
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10月 1日 |
エストニアで経済独立を求める「人民戦線」結成 |
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11月19日 |
東独、ソ連月刊誌「スプートニク」事実上発禁に。ソ連改革路線に距離 |
1989年以降はその2に載せます。