ペレストロイカって何だったの?(3)
(ソ連崩壊までの東欧・ソ連史その2)
♫ 〜ゴルバチョフの顔写真 何遍見ても解らない ペレストロイカは謎だらけ 夢は夜ひらく〜
♫ 〜ペレストロイカの栄光は 鎖断ち切る人民の 長い間の血の我慢 やっと手に入れる〜
♫ 〜ヨハネ二世の帰国劇 CIAのお膳立て 金ならいくらもあるからと 支援革命家〜
♫ 〜プロレタリアの独裁が どこかで間違い勘違い スターリンの独裁に どうして変わったの〜
♫ 〜スターリンには愛想尽き ブハーリンにも愛想尽き 懐かしいのよトロッキー レーニン泣いている〜
♫ 〜赤い旗なら共産党 白い旗なら降参で ピンクに染まったこの私 どっちにつけばいい
♫ 〜軍部とエリツィンに挟まれて ゴルバチョフよ辛かろう あとは野となれ山となれ 夢は夜ひらく〜
(ロシア民謡 さとるの夢は夜ひらく)
ペレストロイカを調べるために東欧とソ連の関係について第二次世界大戦頃(1939年)からソ連崩壊(1991年)までの年表を作って見ました。ゴルバチョフは「ペレストロイカは革命である」と声を大にして言う。強大な力を持ったソビエト連邦と東欧諸国の関係は、国家・民族・宗教・政治・経済・利権・市民の生活・自由・平等・自主等(物価・賃金から労組・青年・女性問題まで)山積みの問題の中で経過していました。冷戦構造の中で「社会主義」と「民主主義」を調和させるというゴルバチョフ革命は成功したのだろうか。今回は激動の1989年〜1991年のソ連崩壊までです。
1989年 |
1月11日 |
ハンガリー国民会議、複数政党制を認める「結社法」可決 |
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2月 6日 |
ポーランド政権と「連帯」の円卓会議開始 |
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2月27日 |
ユーゴ・コソボ自治州のアルバニア系住民民族暴動で軍出動、党幹部解任 |
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3月18日 |
ソ連グルジア・アブハジア自治共和国で民族暴動激化 |
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3月26日 |
ソ連で人民代議員大会選挙。改革派、民族代表が多数当選 |
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3月27日 |
ユーゴ・コソボ自治州に外出禁止令 |
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4月 5日 |
ポーランド円卓会議、「連帯」再合法化と政治改革で合意 |
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4月 9日 |
グルジアの民族暴動でソ連軍が出動、鎮圧。共和国首相辞任へ |
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5月 2日 |
オーストリア・ハンガリー国境の鉄条網撤去開始 |
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5月15日 |
ゴルバチョフ・登小平会議。中ソ和解 |
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5月15日 |
ユーゴ連邦幹部会議長にロルノブセク就任 |
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5月20日 |
ブルガリアでトルコ系住民の反政府暴動。政府は追放政策で対抗 |
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5月25日 |
ソ連人民代議員大会開幕。ゴルバチョフを初代最高会議議長に選出 |
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6月 3日 |
ソ連ウズベク・フェルガナ州で民族衝突、50人以上死亡 |
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6月 4日 |
ポーランド上下院選挙で「連帯」圧勝 |
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6月16日 |
ハンガリーでナジ元首相の公葬、名誉回復 |
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6月16日 |
ソ連カザフで若者が暴動、外出禁止令布告 |
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7月 6日 |
カダル・ハンガリー元党書記長死去 |
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7月 9日 |
〜14日まで、米大統領、ポーランド、ハンガリー訪問 |
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7月10日 |
〜25日まで、ソ連のクズバス炭田で炭鉱スト。各地に拡大 |
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7月19日 |
ポーランド大統領にヤルゼルスキ選出 |
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7月22日 |
ハンガリー国民議会補欠選挙で在野勢力「ハンガリー民主フォーラム」の候補が当選 |
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8月 1日 |
ポーランド・ハンガリー支援国民会議(ブリュッセル)。24カ国参加 |
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8月19日 |
ハンガリー党、駐留ソ連軍の完全撤退要求 |
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8月19日 |
オーストリア・ハンガリー国境で900人の東独市民が西側に集団脱出 |
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8月21日 |
チェコ事件21周年反政府集会で外国人を含む370人を検挙。ブルガリアがトルコ国境を閉鎖 |
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8月23日 |
リトアニアの民族組織「サユディス」、ソ連邦からの独立を決議 |
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8月24日 |
ポーランド首相に非共産党員のマゾビェツキ選出 |
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9月 4日 |
ユーゴで非同盟諸国首脳会議 |
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9月11日 |
東独市民、ハンガリーから西側へ大量脱出。東独野党勢力「フォーラム」結成 |
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9月12日 |
ポーランド、「欄帯」主導内閣発足 |
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9月15日 |
ユーゴのスロベニア共和国議会小委、連邦離脱権を含む憲法修正案を可決 |
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9月19日 |
〜20日まで、ソ連党中央委総会。連邦制維持と共和国の自治権拡大をうたった民族政策綱領採択。28回党大会の繰り上げ開催(1990.10)決定。保守派の3政治局員解任 |
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9月22日 |
〜23日まで、米ソ外相会議 |
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9月25日 |
ソ連最高会議開幕。パブロフ蔵相、1990年度予算案で国防予算削減を提示 |
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9月26日 |
西側24カ国ポーランド・ハンガリー支援多国間会議共同宣言。6億ECUの援助を決定 |
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9月27日 |
NY国連総会出席中のシェワルナゼ・中山外相会談でゴルバチョフ議長の1991年来日合意 |
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9月29日 |
人民代議員大会特別委、「独ソ議定書は違法」との中間報告発表 |
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9月30日 |
東独政府、在プラハ、ワルシャワ西独大使館内の東独市民の出国に同意、7000人が列車で脱出開始 |
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10月 4日 |
米、ポーランドに2億ドル供与を決定 |
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10月 6日 |
東ベルリンで東独建国40周年式典。ソ連ゴルバチョフ議長出席 |
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10月 7日 |
ハンガリー社会党結成(旧社会主義労働党) |
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10月 8日 |
ラトビア共和国人民戦線、連邦からの分離独立をうたった新綱領を採択 |
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10月 9日 |
ソ連最高会議、制限付きスト権を規定したストライキ法採択 |
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10月 9日 |
東独ライプチヒで7万人デモ。ハンガリー社会党、新議長にニエルシェ氏選出 |
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10月10日 |
〜11日まで、東独社会主義統一党政治局会議。ホーネッカー批判噴出 |
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10月16日 |
ソ連最高会議、協同組合法修正案可決。国家の価格統制復活 |
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10月16日 |
東独ライプチヒで12万人デモ |
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10月18日 |
東独ホーネッカー書記長が辞任。後任にクレンツ政治局員 |
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10月18日 |
ハンガリー国民会議、憲法改正案可決 |
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10月19日 |
ソ連、保守系のプラウダ編集長ビクトル・アファナシエフ解任 |
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10月21日 |
ソ連初の西側との合併銀行設立。東ベルリンで2000人デモ |
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10月23日 |
シエ外相、最高会議でクラスノヤルスク・レーダー基地のABM条約違反、アフガン侵攻の誤りを認める |
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10月23日 |
ハンガリー動乱33周年式典でスールシュ議長、ハンガリー共和国を宣言 |
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10月25日 |
〜27日まで、ゴルバチョフ議長、フィンランド訪問 |
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10月25日 |
ユーゴ共産主義者同盟、政治改革決議案の草案公表 |
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10月26日 |
米、ハンガリーに最恵国待遇を決定。ワルシャワ機構外相会議。 |
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10月29日 |
東ベルリンで党と市民の対話集会、2万人が参加 |
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10月31日 |
クレンツ東独書記長訪ソ |
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11月 1日 |
ソ連国立銀行、ルーブルの西側諸国に対する交換率を10分の1にする特別レートを実施 |
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11月 2日 |
クレンツ東独書記長、ポーランド訪問 |
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11月 3日 |
東独で古参の5政治局員が辞任 |
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11月 3日 |
ブルガリアのソフィアで戦後最大のデモ、4000人以上 |
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11月 4日 |
東ベルリンで100万人デモ |
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11月 6日 |
ポーランド党中央委員会、共産主義放棄の新規約の次期党大会での採択を確認 |
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11月 7日 |
東独内閣総辞職。新首相にハンス・モドロウ氏 |
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11月 7日 |
ソ連革命記念日にモスクワで1万人が非公認デモ。モルダビアではデモ隊と警官が衝突 |
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11月 9日 |
東独党・政府、国境の全面開放を発表、実施。事実上のベルリンの壁撤廃 |
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11月10日 |
東独党中央委「変革のための行動綱領」採択 |
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11月10日 |
ジフコフ・ブルガリア共産党書記長が辞任。後任にムラデノフ氏 |
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11月14日 |
チェコ首相、旅行の自由化を表明 |
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11月15日 |
ワレサ「連帯」委員長、米議会で演説。新マーシャル・プランを要請 |
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11月15日 |
ソ連のアバルキン副首相、包括的新経済戦略を公表 |
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11月16日 |
ブルガリア党中央委総会、保守派3政治局員を解任。ハンガリー、欧州議会に加盟申請 |
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11月17日 |
プラハで3万人デモ、ヤケシュ書記長退陣など要求。治安警察が鎮圧 |
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11月18日 |
ソフィアで10万人デモ、ジフコフ前書記長の裁判要求 |
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11月19日 |
プラハで反体制連合組織「市民フォーラム」旗揚げ |
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11月19日 |
ソ連で、グルジア共和国最高会議、共和国法を連邦法より優先させる憲法改正案を採択 |
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11月20日 |
〜21日まで、プラハで20万人デモ。4日連続。全国に波及 |
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11月20日 |
〜25日まで、ルーマニア共産党大会。チャウシェスク書記長は改革拒否を表明 |
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11月21日 |
チェコ、「市民フォーラム」結成 |
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11月24日 |
チェコのヤケシュ書記長解任。後任にウルバーネク |
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11月26日 |
ソ連ゴルバチョフ議長、「プラウダ」に「社会主義の理念と革命的ペレストロイカ」を発表。共産党主導の改革を強調 |
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11月27日 |
チェコ全土でゼネスト。ハンガリー、国民投票で大統領選挙延期を決定 |
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11月27日 |
コール西独首相、ドイツ再統一を最終目標とする三段階十項目構想を提唱 |
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11月27日 |
ソ連最高会議、バルト三国への経済自主権付与法案採択 |
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11月28日 |
ルーマニアの元五輪金メダリスト、コマネチがハンガリーへ亡命 |
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11月29日 |
チェコ臨時合同議会、共産党の指導的役割を憲法から削除することを決定 |
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12月 1日 |
ソ連のゴルバチョフ議長、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世と会談 |
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12月 1日 |
東独人民議会、党の指導的役割を憲法から削除することを決定 |
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12月 2日 |
〜3日まで、マルタ米ソ・サミット。東西冷戦に終止符 |
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12月 3日 |
東独党、クレンツ書記長解任。ホーネッカー前書記長を除名。暫定作業委設置 |
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12月 4日 |
ワルシャワ条約機構首脳会議が「プラハの春」介入を自己批判する声明 |
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12月 5日 |
チェコ書記長が「プラハの春」で追放された50人の名誉回復を発表 |
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12月 6日 |
東独のクレンツ国家評議会議長辞任。議長代行に自由民主党のゲルラッハ党首。ソ仏首脳会議。ドイツ再統一反対で一致 |
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12月 7日 |
チェコのアデメッツ首相辞任、後任にチャルファ。党がヤケシュ前書記長除名 |
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12月 7日 |
東独党と在野勢力の円卓会議、90年5月の自由選挙で合意 |
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12月 7日 |
ソ連リトアニア最高会議、党の指導的役割の憲法からの削除を決定 |
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12月 8日 |
〜9日まで、東独党大会、新党首にギジを選出 |
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12月10日 |
チェコ新内閣発足、非当院が過半数。フサーク大統領就任 |
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12月10日 |
ソ連ラトビア、エストニアで地方議会選挙、人民戦線圧勝し党大敗 |
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12月11日 |
ブルガリアのムラデノフ書記長、自由選挙の実施、党指導条項の削除を提案、13日、党中央委総会で採択 |
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12月13日 |
東欧支援24カ国閣僚会議 |
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12月14日 |
ソ連のサハロフ博士死去。ソフィアで10万人デモ。 |
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12月15日 |
チェコ党、フサーク前大統領ら中央委員20人の解任を決定 |
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12月15日 |
ブルガリア人民議会、集会、デモの自由、結社の自由に関する法案可決 |
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12月16日 |
東独党、新党名を暫定的に「社会主義統一・民主社会主義党」と決定 |
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12月16日 |
ルーマニアのティミショアラでハンガリー系住民のデモ |
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12月17日 |
ティミショアラのデモは数万人の反政府デモに発展、軍・警察隊との衝突で死者多数。ルーマニアはハンガリー国境閉鎖 |
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12月18日 |
ソ連、ECとの貿易、経済協力協定に調印 |
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12月19日 |
東西独首脳会談。経済援助で合意 |
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12月19日 |
ルーマニア外務次官、ティミショアラで死者が出たことを正式に認める |
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12月20日 |
チャウシェスク・ルーマニア大統領、イラン訪問から帰国。ティミス郡に非常事態宣言 |
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12月20日 |
ハンガリーのホルン外相、ティミショアラで数百人が死傷したと発表 |
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12月20日 |
ユーゴ共産主義者同盟、ルーマニア党との関係断絶。チェコ臨時党大会で党首にアダメッツ、第一書記にモホリタ幹部会員を選出、ウルバーネフは辞任 |
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12月20日 |
〜22日まで、ソ連リトアニアで党大会、連邦党からの独立を宣言 |
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12月21日 |
ルーマニア反政府デモが首都ブカレストに拡大、大統領支援集会が一転して反政府集会に。大統領は演説を中断し、数千人の市民に軍が発砲 |
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12月22日 |
ルーマニアで「民族救国戦線」が全権掌握を宣言し、チャウシェスク大統領を逮捕したと発表。ティミショアラ郊外で4600人の集団墓地発見 |
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12月22日 |
ベルリンのブランデンブルグ門開通 |
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12月23日 |
ブカレスト、ティミショアラでチャウシェスク派治安部隊が激しく抵抗、市街戦に |
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12月24日 |
ルーマニア「救国戦線評議会」が全土をほぼ制圧と宣言 |
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12月24日 |
国営ルーマニアTVが「自由ルーマニア放送」と改名 |
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12月24日 |
ソ連人民代議員大会、独ソ不可侵条約の無効を決議 |
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12月25日 |
チャウシェスク大統領夫妻処刑 |
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12月26日 |
ルーマニア新政権発足、イリエスク救国戦線評議会議長、ロマン首相。旧法の廃止、憲法・選挙法の改正を発表 |
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12月27日 |
ルーマニア副議長、4月の自由選挙、共産主義からの脱却を発表 |
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12月28日 |
チェコ連邦議会議長にドプチェク元党第一書記を選出。ユーゴ・韓国国交樹立 |
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12月29日 |
チェコ連邦議会、反体制作家ハベル氏を新大統領に選出 |
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12月29日 |
ルーマニア政権、複数政党制、表現の自由などを盛り込んだ評議会基本法を発表 |
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12月29日 |
ポーランド国会、党の指導条項削除、「ポーランド人民共和国」から「ポーランド共和国」への国名変更を可決 |
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12月29日 |
ソ連アゼルバイジャン共和国のシャリラバードで暴動、デモ隊が党幹部を追放 |
1990年 |
1月 8日 |
海部首相、欧州訪問に出発(ベルギー・仏・英・伊・バチカン・ポーランド・ハンガリーなど八カ国) |
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1月11日 |
中国、北京市中心部の戒厳令解除。(1989年6月天安門事件以来八ヶ月ぶり) |
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1月11日 |
ゴルバチョフ議長、バルト三国の一つ、リトアニア共和国の首都、ビニュスを訪問・市民と対話 |
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1月12日 |
ユーゴ国営通信、アルバニアが「非常事態令」布告と報道。アルバニア国営通信はこの報道を否定 |
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1月13日 |
ルーマニア救国戦線評議会、「ルーマニア共産党の非合法化」を発表、後日撤回 |
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1月13日 |
ソ連、アゼルバイジャン共和国でアゼルバイジャン人とアルメニア人が大衝突 |
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1月15日 |
ソ連、アゼルバイジャン共和国のナゴルノカラバフ自治州に非常事態宣言 |
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1月15日 |
自民党の安倍元幹事長、モスクワでゴルバチョフ議長と会談死亡 |
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1月20日 |
ソ連アゼルバイジャン、首都バクーでソ連正規軍部隊と武装住民が衝突し、130人以上死亡、700人以上負傷 |
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1月29日 |
東独、エーリッヒ・ホーネッカー元国家評議会議長が検察当局に逮捕される |
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1月31日 |
ソ連モスクワに、同国初のマクドナルドが開店 |
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2月15日 |
ラトビアがソ連からの独立を宣言。 |
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2月26日 |
ソ連、1991年7月までにチェコから完全撤兵することを発表 |
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3月11日 |
リトアニアがソ連からの独立を宣言。 |
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3月18日 |
東独で初の自由選挙。 |
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3月30日 |
エストニアがソ連からの独立を宣言。 |
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4月13日 |
ソ連政府、カティンの森事件について公式謝罪 |
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5月20日 |
ルーマニアで、非共産主義体制下の初の大統領及び国会議員選挙 |
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6月 1日 |
米ブッシュ大統領・ソ連ゴルバチョフ大統領 化学兵器廃棄条約に署名 |
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7月 1日 |
東西ドイツが経済統合 |
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7月12日 |
ポリス・エリツィン 共産党離党宣言 |
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8月 2日 |
イラクがクエート侵攻 |
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9月 5日 |
韓国・北朝鮮、分裂後初の両国首脳会談 |
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9月30日 |
ソ連と韓国が国交樹立 |
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10月 3日 |
西ドイツに東ドイツが編入される形で統一(ドイツ再統一) |
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10月15日 |
ソ連ゴルバチョフ大統領、ノーベル平和賞受賞 |
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12月 2日 |
TBS秋山記者がソ連のソユーズTMー11で日本人初の宇宙旅行 |
1991年 |
1月13日 |
リトアニアにソ連軍が軍事介入(血の日曜日事件) |
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1月17日 |
多国籍軍による湾岸戦争勃発 |
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2月 9日 |
独立をめぐるリトアニアの国民投票が行われる |
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4月 6日 |
イラク、国連安保理の低戦艦国を受諾 |
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4月16日 |
〜19日まで、ソ連ゴルバチョフ大統領訪日 |
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6月20日 |
ドイツ、ベルリンへの首都移転決定 |
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6月25日 |
スロベニアとクロアチア、ユーゴスラビアより独立を宣言 |
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6月27日 |
〜7月8日 スロベニア、十日間戦争勃発 スロベニア勝利宣言 |
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6月28日 |
経済相互援助会議(コメコン)解散 |
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7月 1日 |
ワルシャワ条約機構解体 |
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7月31日 |
米ブッシュ大統領・ソ連ゴルバチョフ大統領 第一次戦略兵器削減条約(STAR1)に調印 |
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8月19日 |
〜21日ソ連軍部8月クーデター、ゴルバチョフ大統領軟禁。クーデターは失敗 |
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9月 6日 |
ソビエト連邦、バルト三国の独立承認 |
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9月 8日 |
ユーゴスラビアよりマケドニア共和国独立を宣言 |
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9月17日 |
エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国 国連加盟 韓国・北朝鮮も加盟 |
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12月25日 |
ゴルバチョフ大統領辞任・ソビエト連邦崩壊 |