「芸能人の反戦意識」  風流亭夢譚




芸能は、大衆娯楽が主たる目的であろう。しかしそのひとつの側面には、ユーモア、イロニー、ペーソスの中にも、ふと散りばめられる強烈な社会風刺や、強大な権力に対する批判、揶揄を見て取ることができ、私たちは思わずニヤリとさせられる。もうひとつの側面には、明確な政治的プロパガンダとして利用されることがある。特に権力に利用される場合、大衆洗脳の強力な武器になり恐ろしい結果を招くことは、歴史が証明している。ナチスドイツ、旧日本帝国、旧「共産圏」諸国等等。芸能はやはり権力に利用されるのではなく、庶民のものであってほしい。たとえ「ごまめの歯ぎしり」的なものであっても。(以下、個人名は敬称略とします。)


この年末年始(2014年末〜15年)にかけて、芸能人に関する様々な動きがあった。

日本の芸能人は政治的発言を控えることが多い。なぜなら山本太郎がそうだったように、仕事を干されるからだ。芸能の多くはマスメディアの支配下にあり、その背後にはスポンサー企業と広告代理店が強力な権力を握って君臨している。これらに睨まれると、マスメディアの仕事にはありつけないのだ。


昨年末のサザンオールスターズのライブに、アベシンゾーなる無知無教養な政治屋が出向いたらしい。そこで桑田佳祐はアドリブで先の衆院解散を揶揄する一節を入れて、アベが驚いたとか。桑田佳祐は大晦日の紅白歌合戦、中継で「ピースとハイライト」を歌った。桑田のちょび髭は、チャップリンの映画「独裁者」よろしく、ヒトラーを揶揄したとも思われる。「ピースとハイライト」は往年のタバコの銘柄でもあるが、ピース(平和)とハイライト(極右)ともとれる。あの歌詞を見れば、時の権力者を強烈に批判していることがわかる。「裸の王様」とはまさにアベ本人なのである。そんな歌詞を書いている桑田佳祐のライブにのこのこ出かけるアベのアホさ加減、どんな神経をしているのだ。桑田佳祐は「右」と言われる人たちから批判され、事務所に対する妨害を受けた。事務所運営に支障をきたす事態となり、桑田佳祐が謝罪をしてことを収めた。桑田の謝罪の本心はどこにあるのか定かではない。


HNK絡みでは、さらに二つの問題があった。一つは爆笑問題の政治家ネタがことごとく没にされたことである。彼らは「政治的圧力はなかったと思う」と言っている。NHKスタッフは政治権力やNHK会長に「忖度」して没にしたということである。「自主規制」したということだ。そのあとの会長モミイのコメントには爆笑させられた。「政治家個人をネタに取り上げるのは品格なない。」モミイに「品格」を語る資格があるのか。

もう一つは、宝田明はNHKで反戦メッセージを語ろうとしたところ、NHKのアナウンサーヤマモトテツヤに発言を遮られるという一幕があった。彼は旧満州からの引き上げ組である。戦争の愚かさ、恐ろしさ、理不尽さ、民間人をほったらかして真っ先に逃亡していった軍部に対する不信感を嫌というほど知らされているのだろう。アベの暴走を誰よりも危惧しているはずだ。

マスメディアが国家権力に「忖度」したり、自主規制をするようになったら、自らの真実を伝えるということと、権力に対する監視、という最大の使命を放棄したということだ。完全な敗北であり、存在価値がない。先の衆院選前、自民党が出したマスメディアに対する「公平中立な報道要請」という前代未聞の「恫喝」に屈したとしか思えない。


菅原文太は晩年、無農薬農業を進め、政治的発言を積極的に行った。沖縄県知事選の応援演説で次のように語った。「政治の役割は大きく二つある。一つは国民を飢えさせないこと。安全な食料を供給すること。二つ目はこれが最も重要、絶対に戦争をしないこと。」私たちは彼の遺志を継いでいかなければならない。菅原文太は多くのヤクザ映画に出演し、強面で一見「右の人」風に見えるが、強烈なアベ批判者だった。対して同世代で2011年に亡くなった児玉清は、読書家でインテリ然としているが、強烈なアベファンであった。児玉清がアベファンであることに失望した人はたくさんいると思う。


 大橋巨泉の発言。「自分は左翼のように言われるけど、右でも左でもない単なる遊び人だ。昔から釣りだ、競馬だ、麻雀だ、ゴルフだ、ジャズだと言って、左翼学生から批判されたものだ。遊び人も世の中が平和でなければできないことだ。このスタンスは昔から変わらない。自分が左翼に見られるのは、日本全体が大きく右に寄ってしまったからである。」


美輪明宏の逸話(佐高信の抵抗人列伝による)。

昔、新幹線でナカソネ(元首相)と一緒になった。

ナカソネ「君たちは海軍魂を知っているか」

美輪「私たちは戦時中、竹槍でB29を落とせと命令されて、馬鹿げた訓練をやらされていた。だいたい部下や仲間を見殺しにして、のこのこ逃げて生き残って、偉そうな事を言っている。そんなものが海軍魂なら、知りたいとも思わない。」

ナカソネはこそこそ逃げて別車両に移っていった。美輪は「なんだ、だらしがない。たかが芸人風情に対して。それでも男か。」と思ったそうだ。

また美輪は「あの戦争は日本人が日本人を殺した戦争」と指摘している。


吉永小百合はボランティアで原爆詞、福島原発事故の被災者の詞の朗読を行って、原爆の悲惨さ、被災者の心情を訴えている。「九条の会」の賛同人にも名を連ねている。戦前戦中を題材にした映画やドラマに出演している役者は軍隊や特高警察の横暴、その時代の理不尽さを知っているため、多くは反権力、反戦の意識が強いのではないかと思う。


 1960年代から70年代に反戦フォークが流行った。現在反原発ソングがネット上で流れている。忌野清志郎は昔から原発の危険性を指摘し、先見の明があったことに驚かされる。「サマータイムブルース」は強烈なメッセージソングである。生きていて福島原発事故を見たらなんと発言したであろうか。原発事故後の斉藤和義の替え歌「ずっとウソだった」は傑作であると思う。


海外では芸能人が政治的発言を行ったり、政治的活動を行うことが多い。

マイケル・ジャクソンの発言

「私は情報操作に本当に嫌気がさしている。マスメディアは真実を言いません。大変な嘘つきです。彼らは歴史の本も嘘でごまかしています。歴史の本は真実ではありません。」


彼は暗殺とも思える不審死を遂げている。歴史は勝者(権力者)によって自身の都合のいいように書かれる。たとえ敗者に正義があったとしても、正義は抹殺されてしまう。歴史はそれを前提として読むべきだ。一週間前、一ヶ月前の出来事は既に歴史なのだ。私たちはせめて自分が生きた時代を検証し、歴史の真偽を見破らなければならない。


ジョン・レノンの発言(不適切な言葉があるが、あえて使います。)

「社会はすべて、狂人によってうごかされている。気違いじみた目的を実現するために。僕はこのことを子供の頃に気づいた。僕たちは偏執狂者たちによって、偏執狂者の目的のために支配されている。大国の政府がやろうとしていることは何か。彼らはみんな気違いなんだ。でもそれを表現してしまうと、僕が気違い扱いされて、きっと消されてしまうだろう。これこそが気違いじみた現実なのだ。」


 自身が暗殺されることを予言しているかのような発言である。人は権力を握ると狂人になるのか、狂人しか権力を握れないのか。人々が殺し合うおぞましい世界を見ていると、この事態を望み、意図し、演出している狂人がいるのではないかと思えてくる。殺し合いをやらされるのは一般庶民である。指図する人間は安全なところにいて自身は絶対に傷つかない。表舞台で踊らされている政治家は単なるコマであって、もっと大きな力が働いているような気がしてならない。このようなおぞましい事態でいったい誰が得をするのか。グローバル金融資本か、軍産複合体か。


芸能人には積極的な政治的発言を行ってもらいたい。私たち庶民が何を言っても影響力はないが、彼らの発言はやはり影響力は大きい。ここで取り上げた人たち以外にも独自の発信を行い、行動する芸能人は多い。そういう人たちに心から敬意を表したい。



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