黒川甚平 「転轍の森」




 久々に良い本に出会うことが出来ました。作者は同世代の方ですかね。リアルに70年安保闘争時代の状況を表現しています。単にミステリー小説というよりは、あの時代の総括を目指した素晴らしい作品に思われます。

 まるで演劇の舞台を見ているような展開についつい引き込まれ一気に読み進みました。当時不本意にも命を落とした死霊達に呼び集められた20余年前の仲間たち。そして、その山荘は当時の闘争の総括の場となる。運動の総括ではなく、もっと根源的な諸個人の闘争への関わり方と過ちについて。現在と過去の記憶が交差する中、経過の真実をもって死霊は総括要求をする。かっての仲間たちは総括できずに一人また一人と敗北死してゆく。そう、死霊に殺されたのではなく個人個人が敗北死してゆく。


 後半読み進んで行くうちに、最後は陽子が目を覚まし、何事もなかったように午後のミルクティーをみんなで飲んでいる、そんな日常に戻って欲しいと思い続けていました。怖かったんです。

 そは、この死霊の総括要求です。仇討ではなく総括要求。闘争(革命)への関わり方〜総括要求〜自己批判〜敗北死。そう、あの連赤の思考方法とダブって見えてきたからです。彼ら連赤が犯した最大の過ちがこのことだったんではないでしょうか?心中する二人が相手の真意を疑うように、死(敵と自己)を前にして野合組織内での「信頼感」を求めた事に無理があったんです。妙義山での出来事を聞いて、パレスチナの地で日赤の奥平は泣きながら何度も何度も「隊伍を整えよ」とつぶやき続けていたそうです。そして、その後テルアビブ空港へ。これも一つの敗北死だったんでしょう。あの当時を個人的に総括できた人なんているのでしょうか。

 私もこの過ちに犯されていました。闘争の敗北の中で仲間を「信頼」することが出来なくなっていたんです。40余年を経てこの過ちに気がついたんです。目的・方法・形態はそれぞれ異なっていても、同時代を生き共に理想に向けて闘った、このことだけで充分だと悟りました。あの時戦わなかった連中が「どや顔」でのうのうと生きている中、たとえ過ちを犯したとしても闘った仲間たちが死ななかればならないことは無いと思っています。

 そして更に、戦いに敗れて、闘争 組織 理論までもが崩れ去り、日常生活に埋もれほとんど消えかかっている理想世界への想いを大切にしたいということです。「若気の至り」だとか「マインドコントロール」だとかで語られたくないあの時代。初めて自分が判断して一歩を踏み出したことを、いつまでも大切にしたいと思っているからです


 読み終えて泣きました。昔のことが次々に思い出されて来ました。そして、辛かったこと・悔しかったこと・嬉しかったことの思い出の中で、言い訳を考えている自分がいました。そのことが悲しかったのです。ヘルメット・縦看板・アジテーション・ガリ版・アジビラ・・・・今は懐かしい心の中での宝物です。


 皆さんにもぜひ読んでいただきたい作品です。お薦めします。

 作者にはこの20年経過の総括・整理・清算に続いて、現在の40年経過の続編の執筆を希望したいものです。山荘でのジジ・ババの総決起集会とか・・・・・・。


「転轍の森」の触りガイド



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