「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」
前泊博盛編著
その4(要約)最終回
「日米地位協定入門」は今回で最終回です。Q&AH以降の要約です。「日米地位協定の考え方」「日米地位協定」「新安保条約」の全文については、読むのがうんざりしますが載せておきます。Q&Aに書かれている内容の要約を理解すればいいでしょう。
以上本書を読み終えて、最初に書いた「感想」のように思った次第であります。
なお、本書は「創造」編集部所有ですので、いつでも貸出しいたします。
Q&AH
Q:米軍が希望すれば日本全国どこでも基地にできるというのは本当ですか?
A:悲しい事だが、本当だ。通常の安保条約や協定は基地の名称や場所を書き込むのが常識だ。フィリピンがアメリカと1947年に結んだ「米比軍事基地協定」の付属文書でも23の拠点がフィリピン国内で使用できる基地として明記されている。フィリピンはその前年まで本当のアメリカの植民地だった。日米安保条約や日米地位協定にはそうした記述が全く無い。(日本は植民地以下であるということか。)
Q&AI
Q:「日米地位協定」と旧安保時代の「日米行政協定」はどこが違うのですか?
A:表現の違いだけで、何も変わっていない。
「新安保は旧安保を桐の箱に入れたようなもの」と言われ
本質的な部分は何も変わっていないのと同じである。
アメリカは有事に日本を守ってくれるか?という問題について
新安保条約第五条
「自国の憲法上の規定及び手続きに従って、共通の危機に対処する事を宣言する。」とだけ書かれていて、日本を守るとは書かれていない。
つまり米議会が自国の国益にかなうと判断しなければ、他国のために米軍は一切動かせないとういことである。
例えばNATO(北大西洋条約機構)には「必要な行動をただちにとる。」と明記されている。
Q&AJ
Q:同じ敗戦国のドイツやイタリア、また準戦時国家である韓国などではどうなっているのですか?
A:どこの国とも地位協定を結んでいるが、対等である。拒否権もある。
日米の関係は明かに不平等である。
ドイツでは米軍基地周辺といえども米軍機に飛行禁止区域や低空飛行禁止を定めるドイツ国内法(航空法)が適用される。
イタリアでは駐留米軍が軍事訓練や演習を行う時は、イタリア政府の許可を得なければならない。
韓国では「環境条項」が韓米地位協定で創設されていて、米軍基地内の汚染については共同調査権があり、汚染が見つかれば、米軍が浄化義務を負う。
日米ではこれらの事が全くなく、不平等そのものだ。
Q&AK
Q:米軍はなぜイラクから戦後8年で完全撤退したのですか?
A:イラクが2008年11月アメリカとの間で結んだ「イラク・アメリカ地位協定」のなかに、3年後の2011年末までに米軍が完全撤退すると定められている。もちろん撤退直前になるとアメリカからの激しい圧力があったが、イラクは圧力に屈せず踏ん張った。
現在の日本は、軍事占領されていたイラクよりもひどい状態である。独立国としてしっかりとした交渉を行えば米軍を日本全土からお引取り頂く事は可能なのだ。
Q&AL
Q:フィリピンが憲法改正で米軍を撤退させたのはというのは本当ですか?
それとASEANはなぜ米軍基地が無くても大丈夫なのですか?
A:フィリピンが米軍基地を撤退させたのは本当。
1986年アキノ政変後の1987年新憲法公布(外国軍基地の原則禁止を書き込む)、
1991年上院が基地存続条約の批准を拒否、1992年米軍は完全撤退した。
フィリピンでの米軍基地撤退の決め手となったのは「ナショナリズム」。フィリピンでは与党も野党も、右も左もナショナリズムを否定しない。日本では、右翼も保守政治家も経済界も戦後一貫して対米従属だ。対米従属を批判するリベラルや左翼は日本の伝統に根ざした価値観を封建制などと一緒に葬りがち。こんな対米従属の国は世界中どこにも無い。
ASEAN加盟の10カ国には現在米軍基地はない。ASEANという地域連合として非同盟の原則を貫き、軍事力ではなく、外交で紛争を回避する知恵を積み重ねてきた。日本はこれに学ぶべき。
Q&AM
Q:日米地位協定がなぜ、原発事故や再稼動問題、検察の調書捏造問題と関係あるのですか?
A:「日本は法治国家ではない。」
巨大な米軍駐留→治外法権→国内法は完全に破壊されている。
米軍基地の違憲性を争った1959年の砂川裁判では日本の最高検察庁がアメリカの指示どおりの陳述を行い、田中最高裁長官は大法廷での評議の内容を細かくマッカーサー駐日大使に報告し、アメリカの国務省の考えたロジックに基づいて判決を出した事が、アメリカの公文書によって明かになっている。
砂川裁判判決文「安保条約のような高度な政治性をもつ事案については憲法判断をしない」となっている。つまり、戦後日本は安保を中心とするアメリカとの条約、協定が自国の法体系より上位に位置しているということだ。さらに「アメリカの意向」をバックにした官僚たちまでもが日本の国内法を超越した存在になっている。
原発事故も同じ構図。巨大事故が起こったのに、警察や検察といった公的機関が現場へ捜査に入らず、事故を起こした側が現場を封鎖して証拠を隠蔽している。沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故の巨大コピーだといえる。「絶対安全」と言い続けた当事者が誰も罪を問われず、責任も取らない。大きな過ちを犯した人間が何の反省も無く、「安全は確保された」等と気が狂ったようなことを言って、再稼動を推進する。そこには背筋が寒くなるほど、非人間的な「何か」が存在する事がわかる。
三権分立の立場からアメリカや行政の間違いに歯止めをかけようという姿勢は無く、ただアメリカの判断にしたがっているだけ。
悪名高きナチスの全権委任法第二条
「ドイツ政府によって制定された法律は憲法に違反する事ができる」
これをやったらどんな国だって亡ぶに決まっている。こんな法律は現在どんな独裁国家にも存在しない。(現在の日本の法体系はナチスよりもひどいと言う事か?)
反原発運動と反米軍基地運動はやがて手を結ぶ事になるだろう。そして何十万人の人達が沖縄の人達に学びながら、国と戦う事になるだろう。
Q&AN
Q:日米合同委員会って何ですか?
A:「密約製造マシン」「ブラックボックス」
対等な協議をしているふりをして、実はアメリカの言いなり。
TPPの分科会もこの委員会をまねたものではないか。
結局TPPは今まで安全保障の分野だけに限られていた、そうした「アメリカとの条約が日本の法体系より上位にある」という構造を経済全般に拡大しようとする試みだ。
Q&AO
Q:米軍基地問題と原発問題はどのような共通点があるのですか?
A:1.根拠の乏しい「安全神話」の流布
2.恩恵を受ける人間と負担する人間が別
3.管理・運営・危機管理の「他人任せ」
4.抜本的解決・対処策を担うべき政策担当者や専門家の「思考停止」
5.事故や事件を防ぎチェックする側と施設を運営する側の「なれ合い」
6.国民全体の生命・財産にかかわる重要情報にもかかわらず、なぜか開示されないという情報の「隠蔽体質」
7.重大な問題にもかかわらず、共通する「国民の無知と無関心」
Q&AP
Q:なぜ地位協定の問題は解決できないのですか?
A:「改定」を拒むアメリカの無関心。
アメリカ人は沖縄を知らない。
あるアメリカのシンクタンク研究者の話
「アメリカ人ほど外国を知らない田舎者はいない。彼らは先進国の中でもっとも海外
に出る機会が無くその必要性を感じないまま生きている。なぜならアメリカは豊かな国だから。」
「アメリカ人が沖縄を知らないのは当然。何しろ、自分たちが今戦争しているイラクですら、世界地図のどこにあるかわかるのは、米国民の30%もいない。」
PART2:外務省機密文書「日米地位協定の考え方」とは何か
2004年1月、琉球新報はこれを前文公開した。入手から公開まで7年もかかったのは、ニュースソースをカモフラージュするためであった。外務省はこれを否定すると同時に犯人探しを行った。(否定して犯人探しとは矛盾している。)
これは1973年4月に書かれている。1972年沖縄の本土復帰の翌年である。
つまり沖縄で地位協定を運用するに当たって、諸問題をどう解決するかの裏マニュアルである。これを執筆したのは、外務省条約局の丹波實である。
返還までの27年間、軍事植民地だった沖縄の米軍基地を日本の法体系のもとでコントロールする事がどれほど大変な事か外務省はわかっていたから、この裏マニュアルを作成した。外務省は地位協定の改定という根本的な見直しをせずに、「解釈の変更」で乗り切ろうとした。
歴史的視点からいうと外国軍の駐留は占領駐留か、植民地駐留の二種類しかないが、この「考え方」中には「外国軍の駐留理由」の明確な説明が無い。
要は、米軍に都合のいいように地位協定を解釈しなさいという、裏マニュアルである。司法当局の相談も無く、外務省が勝手に「裁判権」の放棄を決めている。「思いやり予算」では、米軍が基地内で使う電気、ガス、水道料金も日本国民の税金で支払われている。
資料編:「日米地位協定」全文と解説
付録:日米安保条約(新)
あとがき−沖縄、そして日本から米軍基地がなくなる日
日米関係は、人気アニメ「ドラえもん」に出てくる「ジャイアンとスネオ」の関係に例えられる。大柄で喧嘩も強く典型的なガキ大将のジャイアンにインテリ少年のようなスネオはべったりくっついている。(スネオは喧嘩が弱いが、小金持ちの家庭の坊ちゃんで、高価なおもちゃをたくさん持っている。ジャイアンに理不尽な要求をされたら、高価なおもちゃをすぐに差し出してしまう。)スネオはジャイアンの言いなり。主人公ののび太をジャイアンがいじめていても黙って見ているだけ。それどころかいじめに手を貸すこともある。いじめっ子のそばにいれば自分はいじめられない。いじめる側にいれば自分は安心、そんな計算が働いている。ジャイアンの不条理な要求、横暴な態度、暴力の前に奴隷のようにひれ伏すスネオは日米関係の日本の姿だ。しかも、ほかならぬ日本自身が、そんな自虐的な表現で日米関係を描いているのが残念でならない。独善的で横暴な態度や、傍若無人で乱暴な行為、暴力に対しては毅然と立ち向かう。是々非々で論じ合う、悪いことは悪いといえる、嫌な事は嫌だとはっきり言い合える、スネオにはそんな勇気を持ってほしいと思う。(ドラえもんをみていると、誰もがスネオに対して、そのように思うのではないだろうか?)
はるか昔(約70年前)に、自分から売った喧嘩に負けたからといって、勝ったやつのずっと子分のまま、というのは主権国家として、経済大国として、民主国家としてどうなのか。戦後日本人が見失ってきた「自主独立」の気概が今こそ試され、求められている。