「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」
前泊博盛編著
その2(要約)
本書は「創造」編集部所有です。貸出希望者にはいつでも貸出しいたしますので、お申し出ください。 前回の投稿では感想のみ書きました。今回は本書の要約を試みます。
本書の構成は次のようになっています。
はじめに
PART1 日米地位協定Q&A(全17問)
PRAT2 外務省機密文書「日米地位協定の考え方」とは何か
資料編 「日米地位協定」全文と解説
付録 日米安全保障条約(新)
<PART1 日米地位協定Q&A(全17問)>
Q&A1
Q:日米地位協定ってなんですか?
A:一言で言えば戦後日本のパンドラの箱
「アメリカが占領期と同じように日本に米軍を配備し続けるための取り決め」
「日本における米軍の強大な権益についての取り決め」
「実質的な軍事占領の継続」
アメリカのダレス国務省顧問(当時)の言葉
「我々の望む数の兵力を、日本国内の望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」
つまり、日本全土基地化が可能であり、在日米軍基地が自由使用できるという協定。
事実上の治外法権であり、そこには日本国の主権も及ばなければ、日本国の法律も適用できない。
もしあなたが所有し、住んでいる家、土地、地域が米軍基地として必要だから出て 行け、と言われれば、
あなたはそこを出ていかなければならない。
日本国の法律であなたに所有権があったとしても、そんなものは日米地位協定の方が優先されるのだ。
オスプレイ配備の時、野田首相(当時)は「日本がどうこう言える問題ではない」と言って顰蹙をかった。「お前はどこの国の首相か?」と多くの人が思ったに違いない。しかし「王様は裸だ!」と叫んだ少年と同じ、真実を言った。自民党の首相であれば、こんなことは百も承知の上で、国民に対しては日本国の首相としての騙しのポーズをとったことだろう。
事実上の治外法権ということは、アメリカ人はどんな身分の人間も、パスポート、ビザ無しで出入国が自由である。米軍基地で離着陸し、基地ゲートから出入りすればそれでいいのだ。日本国政府はどんなアメリカ人が何人、日本に出入国しているのか、全く掴んでいない。
こんな国が独立国、主権国家、法治国家と言えるのか?
戦後70年たっても日本は軍事占領されているのだ。
現在日本で起きている様々な深刻な出来事は日米地位協定を源流としている。
(意外に思われるが、これらも日米地位協定と関連している。つまり裏にはアメリカの影があるのだ。)
原発事故と再稼働問題
不況下での大増税問題
オスプレイ配備問題
TPP参加問題
検察の調書捏造問題
Q&A2
Q:いつどのように結ばれたのですか?
A:日米行政協定(日米地位協定の前身):1952年2月28日
その半年前、1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約がオペラハウスで華々しく調印された。同日、
旧日米安保条約が町外れの米軍施設でひっそりと調印された。この時調印したのは吉田茂ただひとり。
現在の日米地位協定(中身は日米行政協定と同じ)は1960年1月19日、ワシントンで結ばれた。
サンフランシスコ講和条約は華々しく調印され、主権を回復したかに見えたが、
その裏には、旧日米安保条約と日米地位協定がひっそりと用意され、軍事占領が可能な状態を作り上げられてしまった。
講和条約>安保条約>地位協定の順に重要と思われているが、
実は、地位協定>安保条約>講和条約の順に重要である。
アメリカにとっては、地位協定のための安保条約、安保条約のための講和条約であり、
本能寺(本丸)は地位協定なのだ。
講和条約に書き込めない属国的な内容を安保条約に、さらにひどい属国的な地位協定に押し込んだのだ。
三浦陽一著「吉田茂とサンフランシスコ講和」から引用
「ダレスの補佐役アリソン(のちの駐日大使)は、もし安保条約が署名されたら、日本側の代表団の少なくともひとりは帰国後に暗殺されることは確実だと語っている。真に独立を求める心情が日本人にあるなら、安保条約は簡単には認められるものでないことを吉田もアメリカも知っていたのである。」
それほど売国的、国辱的な内容である。
以下、工事中、順次追加していきます。よろしくお願いします。