「創造」再発行三周年のご挨拶

 

 「創造」再発行から三年が経ちました。皆様の力により、三周年を迎えることができました。今後とも「自由な表現の場」として「創造」を盛り上げていきましょう。

 

世の中に目を転じると、嫌なものばかり見えてきた三年でもありました。今何といっても目障り極まりないのはアベシンゾーであります。アベは「右翼」とみられていますが、実は全く違うと思っています。「右翼」でもなければ「保守」でもない。「愛国主義者」「国家主義者」「民族主義者」「(自主独立的な)軍国主義者」というレッテルが全く当てはまらない。単なる「奴隷的アメリカ従属主義者」である。アベは日本人の魂と富をアメリカに売り払おうとしている。日本の歴史、伝統、文化、日本語という言語(英語化という愚民政策)を抹殺し、アメリカに同化しようとしている。アメリカに日本の富、領土領空領海を貢いでいる。今後は日本人の生命まで貢ごうとしている。その本質は、「右翼」がよく口にする「国賊」「売国奴」「非国民」そのものではないか。なぜ本物の「右翼」は怒らないのだ。アジア諸国に対する「排外主義」を煽るが、なぜ「白人」に対する、日本民族、アジア民族としての自主自立独立の矜持を持たないのか。

だいたい彼らの言う「大日本帝国」「お国のため、天皇陛下のため」「愛国」「日の丸」「君が代」「万世一系の天皇」「八紘一宇」「靖国」「大東亜共栄圏」「特攻」「散華」など侵略という蛮行を美化する価値観は、明治維新から敗戦までの日本の歴史から見ればわずか八十数年という、ほんの一時期に生まれ極限まで増長し、そして敗北し、死に絶えた価値観に過ぎない。さらにいえば、明治政府はまがりなりにも立憲君主制をとっていたし、大正期には大正デモクラシーがあったので、昭和初期からの20年間に強制的に植えつけられモンスター化したものに過ぎない。それ以前の日本には1000年以上の有史があり、さらに縄文人からすれば何万年の歴史があるのだ。自然や万物と共存しながら生きてきた日本人として、真の日本の歴史、文化、伝統はここにあるのだ。

 

現在の政治状況を見ると、ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984年」を彷彿とさせる。「1984年」は、1948年に発表された小説で近未来の全体主義国家を描いている。そこに出てくる独裁党のスローガンはつぎの通りである。

 

 ●戦争は平和である

 ●自由は屈従である

 ●無知は力である

 

また、常に誰かが見ている(監視されている)恐怖や、言葉の簡素化による、無知を促進し思考を停止させるニュースピーク(新話法)という概念がでてくる。背筋が寒くなるほど現在の政治状況と酷似しているではないか?オーウェルの先見性に感服するとともに、「こんなことが本当に起こるのかよ〜」「マジかよ〜」と言う悪夢にうなされているように思える。

 

 「戦争法案」審議をめぐって、山本太郎は原発がミサイル攻撃を受けた場合のことを質問していた。案の定、政権はこれを全く想定していないことがわかった。自衛隊を海外に出すことばかり議論しているが、敵を作ってしまった場合、敵は相手の一番弱いところを攻めてくる。そんなこと子供でもわかることなのに、この政権は子供の頭も持っていないのだ。

 

 しかし、3.11を経験した日本人には見えないものが見えてきた。丸山眞男が言うところの「無責任の体系」が、戦前戦中戦後と続き、日本の権力構造は全く変わっていないことに気付かされた。また、1970年前半以降、実に40年もの間全く無風だった政治的、社会的運動の大衆的盛り上がりが蘇ってきたことは一筋の光である。私たちはしっかりと現実を見て、分析し、行動しなければならないでしょう。

 

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